第7回長野オリンピック記念2005長野マラソン
再び自己ベスト更新!
 3月の京都シティハーフマラソンにおいて、その数ヶ月前からの淀川と高槻のハーフマラソンの失敗を克服したが、その復活を確実なものとするためにもこのフルマラソンである長野マラソン(4月17日)はとりわけ重要なレースであった。スタート前の気温の高さが少し気になったが、昨年ほどの暑さもなく、ほぼ絶好の条件でスタートすることができた。そのレースを組織委員会からのタイムをもとに検証してみたい。タイムはいずれもネットタイムで、昨年のタイムと比較したい。
 このレースの戦略は、ゆっくり入って体調をよく見極め、できるだけイーブンペースで、無理をせずに走り通すということであった。上のグラフから分かるように思惑通り昨年よりゆっくり入っていることがよく分かるであろう。その後は、25 kmまでほとんどコンスタントに走れているのがよく分かる。

 昨年、一緒に走ってくれた息子に中間点以降引っ張られ、彼にペースを計測してもらいながら走っていました。1つの時計でキロあたりのペースを計算しながら走ることは、実は毎年のことながら、中間点を越えるあたりからは頭が働かず不可能に近くなっています。そこで今年は、時計を左と右に二つはめ(写真参照)、左では通常の記録用の計測をし、右の時計で1、2キロおきくらいにキロあたりのタイムを計測し続けました。それによって遅くなればできるだけ元に戻すということを心がけて走りました。自分の2つの時計でチェックしながら走ったので、30 km以降の後半になってもイーブンペースに押さえきれなくなっていますが、それなりにかなり粘って走れています。

 昨年のデータより今年のグラフの線が下になっているのは、これは時計のためだけでなく、昨年末からの辛抱強いLSDによって体脂肪を落とし、それに伴って体重を落とし、さらに持久力をつけたためだとも考えています。最後の2.195 kmのスピードが今年の方が良くないのは、帽子をかぶっては走れないほどの強い向かい風のせいだと考えています。ゴールの時に帽子を手に持っているのが下の写真からお分かりのことと思います。この風は32キロ過ぎから強く、時には突風のようにも吹き、悩まされました。これがなければひょっとすると50分を切れていたかもしれないと思っています。それでも、結局のところ、息子に引っ張られたのではなく、自分の力で2分半ほど自己記録を更新することができました。
 上のグラフは完走者3,979人中の順位変動を表したもので、基本的には昨年とほとんど同じ傾向である。ラップタイムを少しずつ落としながらも、全体としてみれば落ち方が少ないと評価できる。つまり、前半をハイペースで走った人たちを後半に追い抜いていることになる。毎年1歳ずつ歳をとってゆき、今年の後半には66歳になる身としては、現在のレース戦略をもはや変えることはできない。できるだけイーブンペースを維持しながら走ること以外にはあり得ないのである。

 チャレンジングに走るために今後やらなければならないこと、それは一にも二にも持久力の向上でしかない。もし、25 kmからもそれまでのラップを維持できれば、さらに大幅なタイム更新が可能である。それにはLS Dによる持久力向上に加え、現在70キロ程度まで落とした体重をあと1キロ程度落として身軽で走ることであろう。

 いずれにせよ、これまで試みてきたトレーニング法、そしてコンディショニング・ウエアの着用などはそれなりに効果を現し、体調・タイムともほぼ満足できる状況である。これから「かっとび伊吹」をはじめとしてランニングのシーズンが始まる。慌てず騒がず、落ち着いて走りたい。また、来年の長野マラソンが楽しみである。

注:右のゴール時の写真の胸に貼ってある紙切れは、登録の際の不備により起こったスタートブロックの間違いを正すための「スタートブロック移動証明書」である。ただ、それを胸に貼ったのは私の勝手である。

              (2005年8月17日)