君はなにかで爆発したか?
        全学共通教育機構 ガイダンス室長 中西 康夫
(理学研究科生物科学専攻)
 今年のスポーツ界のメインイベントであったシドニーオリンピックも、パラリンピックを最後に終わってしまった。著しく商業化され、ドーピングなどのさまざまな課題を抱えた大会になって久しいが、それでもスポーツ好きの人にとってはこたえられない祭典ではある。そこには、恐ろしいまでに鍛えられ、集中力の権化となった無数のアスリートが集うのである。それが故に、汗と血の混ざりあった不思議な空間が出現し、その勝敗の帰すうに一喜一憂することとなる。あのサッカーの、対米国戦終了1分前に訪れた魔の時間帯の出来事は、ロスタイムでのドーハの悲劇と同じように長く長く私の記憶に残ってしまうのであろう。
 体を動かすことから言えば、今年の私は3回爆発したことになる。21.0975 kmを必死の思いで3回走ったということである。それが身体に良いかどうかは別にして、若いときからさほど走ることに興味を感じていなかった私としては、これはチャレンジと言うにふさわしい。残り少ない人生を意識するのであろうが、普段自分で設定した1時間程度の起伏の多いコースを走るにしても、1秒でも速く走りたいのである。どうしてそんなことを?、と聞くほど野暮な問いはない。たぶん、うれしいことに、まだなにかで爆発したい自分がそこにはいるに違いない。
 いろいろな機会に新入生に聞くと、高校時代には意外にも多くの学生諸君が、体育系、文化系を問わずなにがしかのクラブに所属していたことが分かる。しかし、大学に入ってクラブで活動している者はそれほど多くはなさそうである。あるいは、大学の外でさまざまな活動をしているのであろうか。種々のアンケートから判断する限り、多くの時間を予習・復習に当てているとも考えにくい。聞くところによれば、休講の時間をどのように使うかの戸惑いもあるようである。確かに大阪大学は、豊中・吹田キャンパスを問わず、大学の中も大学のまわりにも学生が集う場所が少なく、お互いがコミュニケーションをとりにくい。これは反省しよう。
 あれやこれやの理屈をつけてみても、いまの時代、自分の居場所、自分のやるべきことを見つけだすことはむつかしい。そんな自分を再発見するには、思い切って大学を離れて、ぶらりと旅にでるのもよいであろう。あるいは、本を沢山読んでみるのも、音楽を聴きまくるのも、そして思い切り身体を動かしてみるのも良いかもしれない。私の希望を言えば、高校生時代までの、誰かに指導された選択から離れて、大人の積極的な選択として、大学の内外を問わない活動を期待したい。これから羽ばたく若者として、なにかで爆発してもらいたいのである。
 そのためやその結果として、大学を4年で卒業できなくなったとしてもそれはやむを得ないであろう。ひょっとすると学ぶべき大切なものが手に入るかもしれないからである。自分の目標を見つけ出せずに卒業するより、なにかを見つけて卒業してもらいたいのである。単位を充足することより、それを見つけることが卒業の要件であるとさえ私は考えている。そして、行き先を間違えたと思えば、またやり直せばよいのである。大学は、それくらいの我慢ができるところである。
(大阪大学「共通教育便り」(巻頭言掲載))