広島大学における教養教育
−大学教育研究センターを訪問して−
全学共通教育機構
ガイダンス室長 中西 康夫
専門員 青木 優積
1.広島大学大学教育研究センター
 最近、大学における高等教育の停滞、あるいは低下やその役割が教育界のみならずマスコミをも巻き込んで大きな社会問題になってきている。しかし、そのことが最も先鋭的に問題の対象になったのは遥か昔、1960年代の後半から1970年代のはじめであり、日本中の大学が大きく揺さぶられた時であった。その揺さぶり方はともかく、その問題の本質に対して結果はともかく前向きに取り組もうとした大学と、とにかくそれを沈静化しようとした大学があったことを私はそれなりに覚えてはいる。当時本大学にいなかった私にはその当時の状況を知る由もないが、広島大学の大学教育研究センターを訪問して、その当時からの取り組み方の違いを垣間みる思いがした。

2.センターの設置
 多くの高等教育を求める学生が入学してくる大学の抱える最も基本的な問題は、いうまでもなく教育、特に高等教育の問題である。そのことをいち早く認識してその問題の研究を国際的・国内的な視点から進めるために設置されたのが「大学教育研究センター」で、1972年のことであった。それは一般教育を担当してきた教養部を廃止して、新しく総合科学部を設立する3年前のことであった。現在の教養教育(本学でいう「共通教育」)の責任体制は、総合科学部の占める位置は大きいが、委員会方式、全学教官の協力体制である点で、大阪大学とほぼ同じである。
3.教養教育の現状と問題点
 広島大学におけるカリキュラム改革の中心は、全学生必修の教養ゼミと12単位必修のパッケージ別科目である。教養ゼミは各学部が責任をもって開設し、学生の割振りまで行っているので入学時からスムーズに実施され、学生にも好評であるという。
 パッケージ別科目は、本学の主題別教育科目とよく似ており、「知の根源」、「人間の自画像」、「制度と生活世界」、「国際化と異文化交流」、「科学技術と環境」の5つの主題に分けられ、それぞれに「人間・価値の視角」、「社会・世界の視角」そして「自然の視角」からそれぞれ少なくとも6つの授業科目が設定されている。授業開始前にパッケージといわれる区分の選択、割振り等を行っているが、やはり学生の希望に添えないという問題などで見直しが求められていて、現在、所要単位数の削減、パッケージ数を増やすことなどを検討中である。少なくとも現在の要求単位数は、その削減も検討されているとはいえ、本学の現時点での8単位に比べてかなり多いことは興味深い。
4.教養教育に対する教職員の意識改革
  広島大学では「教養的教育改革の全学研修会」を3年続けて実施している(昨年までの2回で400名、今年度参加者150名強)。これは、全学の教職員に教養教育の趣旨や理念・目標等の理解を得ることと問題点を明確にすることによって、教養教育の成果を上げることを目的として行われているもので、1泊しての研修である。大学の職員とくに教員が研究者として機能したいとする意識が一般に高く、普段あまり教育について考えることの少ない日本の大学において、教養教育についての意識向上を狙うこのような企画が定期的に行われていることは特筆すべきことで、本学でもこのような場を設けることの必要性を強く感じた。
5.大学教育研究センターの役割
 上にも述べたように、センターの設置は国内最初の教育研究センターとして総合科学部の設置よりも古く1972年に設置され、一般教育の実施とは直接関連させず、大学・高等教育の国際的・国内的視野の元に基本的諸問題に関する研究を行ってきた。その後多くの大学に同様のセンターが設置されたこと、および高等教育の問題が大きくクローズアップされてきたこともあり、全国大学教育研究センター等協議会の組織作りに指導的役割を果たしている。
 設立当初は高等教育全般にわたる、また全国的・国際的な調査研究を主として行い、多くの調査報告書・研究報告書を出してきたが、大学設置基準の変更に伴う学内改革の前後から学内的な調査・研究に基づき学内に向けて多くの情報発信をしてきている。現在10名の専任スタッフがおり(教授5名、助教授・講師2名、助手3名)、その全てが教育学専攻のスタッフであるが、理系の専門家の必要性を考慮して来年度以降に理系のスタッフが2名加わる予定である。なお、現在ヘ大学院社会科学研究科を構成する一部局として研究者の育成をも行っている。
 学内の教養教育に関わる役割については、教養的教育全学委員会と共同して調査・研究を行い、学内へ情報・警報の発信源として機能している。大阪大学にも多くの報告書などが存在するが、必ずしも整理整頓されているとはいいがたい。センターの存在は、そのような情報の一元化にも大きな役割を果たしていると感じた。そのような調査・研究・情報発信を行い、国際的・国内的視点を考慮しながら広島大学の学内の教育改革に大きな役割を果たしつつあるようである。
6.雑感
 広島大学には、教養教育や高等教育について発言する専門家が多数おり、人材の層の厚さを感じる。そのうちの1人、総合科学部長(現、副学長)の生和秀敏氏が金沢大学で講演した内容の報告書(金沢大学教養教育機構、研究調査部報第4号)に紹介されているカーネギー財団、アーネスト・ボイアー氏や理化学研究所の松本元氏らの次のような主張には、特に今日的な価値がある。「ジェネラル・エデュケーションとして必要なものは、一番が言語、二番が芸術、三番が伝統、四番が制度、五番が自然、六番が仕事、七番が自己認識」とボイアー氏、「脳を最も簡単に活性化させるためには感動体験が一番大事。それは単に沢山の刺激を与えることではなくて、とにかくエモーション、感動体験をうんと高めて脳の活性水準を一般的に上げるという事をやらなければ、いくら刺激を入力したって、それはダメです」と松本氏は主張しているようである。
 美的感動、もっと一般的に言って感動体験が人間の成長にとってきわめて大切であるとの主張であると思われる。感動を得られるように、あるいは、感動を与えられるように意図した行動をすべきであるとの立場を私はとらないが、結果としてそのようなものを感じる、あるいは感じられるようになることの重要性は理解できる。大学教育にそのようなものを積極的に取り入れなければならない時代が来ているとの実感は、私も同じである。とりわけ、そのような問題意識をもつ多くの研究者をそろえる広島大学が、どのような選択をしてくるのか興味深い。また、そのようなことを大阪大学がどのように考えるのかを、わたしは注目していきたい。

 本学は大学教育センターのようなものの設置を考えつつあるが、それが成功するかどうかは、教育を、とくに低学年の教育を大学における研究と並ぶ、あるいはそれ以上のものとして重視する基盤があるかどうかにかかっていると信じる。
(大阪大学「共通教育だより」第10号掲載、2000年1月)