第34回ホノルルマラソン2006ーその(2)
ー本当の原因はエネルギー欠乏か?ー
はじめに
 今回のホノルルマラソンの結果を将来のために解析しておきたいと考え、「その(1)」にさまざまなことを書いた。本当の原因はともかく、シューズ選択の誤算、そして時計や異常な混雑などによって引き起こされた動揺が過度の脚の使い方となって大ブレーキに至ったと書いた。簡単に言えばいくつかの要因に簡単に影響された「脚力のなさ」であると結論した。では、「脚力のなさ」とは一体なんのことだろうか? 「その(1)」を書き終えたあと更にいろいろなことを思い出すこととなった。それらを総合して考えたとき、私はもう一度エネルギー源の問題に戻り、自分自身に言い聞かせることが必要だと感じた。 そのことを皆さんの参考のためにも以下に書き記しておきたい。

 ここでもう一度レースの途中やレース後に感じたことを思い起こしてみたい。Hawaii Kaiに入る前から感じ始めたのは両脚股関節の痛みであった。最初は片方だったのだがすぐに両方の股関節に痛みが来た。いつものフルマラソンの時には左にしばらく痛みが来ることはあったが、両脚ということは初めてであった。その前には左踵に痛みがあったがそれはそれほど重大ではなかった。股関節の痛みはかなり深刻でその内に脚全体が動かなくなってしまい、これが最後まで響くことになった。しかし、ここで気になることが2つあった。ひとつは、携行していたアミノ酸2,200mgのアミノ酸製剤一袋をのんだところ、しばらくして脚が少し楽になったと感じたことである。私はそれ以外にもデキストリンを携行していたが、それを摂取する方向にもはや頭が回ることはなかった。更に思い出すことは、歩き始めてから時々身体の緊張をとろうとして腕を廻そうとしたが、上半身が異常に硬く硬直しているように感じたことである。 これはいままで経験したことのない異常なことで、エネルギー欠乏を強く想像させる現象のひとつである。

 では、ゴール後はどうであったかといえば、もちろん疲労困憊で完走者がもらえるリンゴをかじり長く座り込んでいたことは言うまでもないが、その後JTBのテントでうどんやアイスクリームをいただいて食べたあとは意外にすっきりした気分になって写真に納まるような顔つきになっていた。その時には、脚が重いのは当然であるが、股関節が痛いとか踵が痛くてどうにもならない感覚は全くなく、ゆっくりだがちゃんと歩けてホテルまで戻ったのである。次の朝起きたとき、もちろん最初は踵が痛かったのであるが、その内に脚を引きずることもなく普通に買い物や食事、そして水族館の見物に出かけることができた。

 以上のことを総合して考えると、要するに股関節や踵の痛みは、その部分が物理的に損傷を受けて痛みが出たというより、エネルギー欠乏症による痛みがたまたまその部分に現れ、上半身もエネルギー欠乏で硬直化していたと考えるのが最も合理的である。簡単にいえばガス欠である。したがって、エネルギーが供給されれば簡単に修復されるのである。このエネルギー欠乏を促進したのが、シューズであったり、ストレスであったりで、脚を通して全身に影響が及んだのではないかといまは考えている。
どれほどのエネルギーが必要なのだろうか?
どれほどのエネルギーの蓄積があるのか?
 エネルギー源は大きく分けて2つある。ひとつはグルコース(ブドウ糖)あるいはそれが高分子の形をとったグリコーゲンであり、もうひとつは脂肪である。運動の要求に応じてほとんど瞬時にエネルギーに変換できるのはグルコース関連物質で、それに比べて脂肪の利用には少し時間がかかるとは言われている。雑誌「臨床スポーツ医学」(鈴木正成氏著、1992年第11巻、No. 4から掲載された)の「スポーツと栄養」によれば、たとえば、体重60kgの男子水泳選手のグルコース蓄積量はおよそ480gで、一般に体重の1%未満である。グルコース1gは栄養学的には4 kcalの熱量(エネルギー)を発生するといわれているので糖に由来する総エネルギー量を計算すると約1,900 kcalを産生することになる。この1gあたり4 kcalという値はほぼ理論値に近い数字で、如何に生体が精緻に出来ていようとも100%の効率を実現することは不可能で、実際にはこの半分以下、あるいは3割程度と考えても不思議はないのである(「付録参照」)。とすれば、これだけの糖量からは600 kcal程度のエネルギーしか走ることに使えないと考えるのは当然である。もちろん、走っている間にも肝臓はグルコースを合成し続けているが、それにもエネルギーも必要であり、またグルコースだけがほとんど唯一のエネルギー源である脳のことを考えれば、それに多くを期待することは出来ない。

 では、脂肪はどうか。脂肪は1gあたりの発生エネルギーはおよそ9 kcalといわれ、糖の倍以上である。しかも、この蓄積量は莫大で、私のように体脂肪率が20 %程度あるものではほぼ14kgの脂肪を蓄えていることになり、総量全てでおよそ130,000 kcalという大きな値になる。さらに、脂肪の燃焼過程ではかっては疲労の悪玉といわれた乳酸の発生がないことも大きな利点ではある。このことから私達は、脂肪の蓄積がマラソンの準備のために必要だと言われることはないのである。むしろ十分すぎる脂肪を減らして体重を落とすことの方がよっぽど大事である(マラソン・ランナーの体脂肪率は3−5 %程度といわれる)。糖の場合とも同様であるが、この脂肪の分解、燃焼には酸素の供給が必須である。ここに脂肪燃焼の難しさがあり、特に脂肪の分解から水素の酸化に至るシステムには多くの化学物質が関与しており、生体内での酸素濃度とともにそれら化学物質の量的バランスが脂肪の効率的利用に重要な役割を果たしているようである。従って、このシステム全般の活性化がトップのマラソン・ランナーには必須である。
では一体どうすればよいのか?
 糖であるグルコースは使いかっての良いエネルギー源であることは言うまでもない。しかし残念ながら上の計算でも分かるとおりそれだけでは全く不十分であることは明らかで、場合によっては全体の必要エネルギーの30 %程度しかカバーできない可能性があるのである。とすれば考えることは2つである。ひとつは、十分ある脂肪の利用効率を上げることである。実業団あるいはプロのマラソン・ランナーが高地トレーニングをする理由のひとつは、酸素濃度の低いところでトレーニングすることで酸素摂取・利用能力を上げることである。これにはヘモグロビン濃度の上昇、毛細血管網構築の促進、細胞内ミトコンドリアの量的増大や機能拡大が関係している。それが出来ない我々は、エネルギー産生に絡んでいる因子のひとつCoenzyme Qやα―リポ酸を補給したり、また私も取り入れているLSD(Long, Slow, Distance)などといわれるトレーニング方式をとったりするのである(「新・ゆっくり走れば速くなる」浅井えり子著、ランナーズ)。しかし、これらがどの程度の脂肪燃焼効率の上昇につながっているかのデータは必ずしも十分ではなく、実績によってそれらは信頼されていると言った方が適当である。

 一方、グルコースの方はどうであろうか。グルコースは、脳のエネルギー源にも筋肉のエネルギー源にもなることからできることなら最大限の蓄積をしたい物質である。そのために行われるのがグリコーゲン・ローディング(Glycogen LoadingあるいはCarboloading)である。それは、レース1週間ほど前にタンパク質の多い食事をとりつつ筋肉内のグリコーゲンを一度使い尽くすトレーニングを行って筋肉を飢餓状態に追い込み、その後レースまでの3日間ほど徹底して炭水化物の多い食事をして最大限グルコースを体内に蓄積させるのである。これは細胞内グリコーゲンが低下するとそれを補給するためにグリコーゲン合成酵素活性が上昇するという事実に基づいている。しかしながら、これによって具体的にどの程度の蓄積量のアップがあったかとの数字は残念ながら見あたらない。きっとどこかにあるのか、あるいは上に述べたように、実績によって信頼されている対処法なのであろうか。

 しかし、このような食事を含めてのトレーニング法の多くは絶えず批判の対象となり、新しく更新されてゆくのである。それはひとえに対象が細胞という小さな単位の話ではなく、それが60兆個も集まったマクロで複雑な人間であることに起因している。その難しさを示す最もよい例は、ごく最近まで何十年にもわたって疲労物質として悪者にされてきた乳酸の話である。東京大学大学院の八田秀雄教授によれば、乳酸は疲労物質ではなく、場合によっては生体運動に必要なエネルギー源の可能性もあるということである(「エネルギー代謝を活かしたスポーツトレーニング」講談社サイエンティフィック、2004)。また、ここ数年、分岐鎖アミノ酸が筋肉のエネルギー源として、また筋肉の分解防止のためにも重要であると考えられるようになり、それを積極的に摂取する私も実感として理解できるように思っている。しかしこれとてまだ発展途上、あるいはその効用の解明途上である。糖にしろ脂肪にしろ、あるいはこのアミノ酸の問題など私達の持つエネルギー源は、多くの複雑で未解決の問題を抱えていると理解してそれに対処したいものである。

 とはいえ、私達に出来ることは、分からないことが多いながらも最も使いかっての良いグルコースを出来るだけ大量に体内に、とりわけ筋肉細胞内に蓄積するだけである。その有効性は実績によって十分に支持されていると信じる。
私の場合はどうだったのか?
 私はハーフマラソンやフルマラソンを走り初めてから10年ほどは、上に述べた事柄について十分な配慮をし、こまめにグリコーゲン・ローディングを行い、レースの朝食には、しばしばお餅を6個も7個も食べて出かけたことを思い出している。しかも、アミノ酸製剤やデキストリンなどを携行してそれを給水所で補給することを欠かさなかった。しかし最近は、トレーニングの蓄積による脚力の上昇に反比例してそのことに対する配慮が欠落してきたのは事実で、携行しているサプリメントを使用することは稀であった。

 今回のホノルルマラソンの場合、日本を出発する1ヶ月前に風邪を引いたこともあって筋肉を一旦飢餓状態に追い込むトレーニングが出来ず、更にグリコーゲン・ローディングに対する意識の低下とともに、炭水化物を食べにくいホノルルという事情も重なって極端に糖の摂取が少なかったことをいま反省している。このような体内の状況が、シューズ選択を含む様々な問題を契機として急速に表面化し、思わぬ地獄を味わうことになったのであろう。本当のことは闇であるが、多分、私の慢心の結果であっただろうと痛感する。

 マラソン時に膝が痛い、腰が痛い、股関節が痛い、あるいは足首が痛いなどあちらこちらが痛いと感じている方々も、もう一度エネルギー源を十分に自分の身体に供給する努力がされているかどうかの考察をお勧めしたい。私が定期的な治療をお願いしている愛知県小牧市の五体治療院の師匠も、脱水によってさえもそのような部分に痛みを感じることがあると指摘している。
                                   
                                    (2006年12月21日)
付録
 上に幾つかの数値を書いたので、折角だからもう少し詳しいことを付け加えておきたい。グルコースが酸素の助けを借りて完全に炭酸ガスと水に分解される(生体内では有酸素運動による)反応は、熱量を書き加えると以下のような反応式である。

  C6H12O6 (180 g) + 6O2 → 6CO2 + 6H2O + 688 kcal

この反応では計算上688 kcal(686 kcalという説もある)の熱量が発生するとされる。これはグルコース1 g当たりでは3.82 kcalとなる。一方、ボンベ熱量計といわれる装置で燃焼させて発生する熱から計算すると1 g当たり4.10 kcalとなる。この数値に生体内での糖質の吸収率などを考慮すると、糖質1 g当たり4.018 kcalという値が得られることになる。これを「生理的燃焼値」といい、ひと桁の数値に簡略化したのが、糖質、タンパク質、脂質それぞれ1 g当たりのエネルギー含量を4、4、9 kcalとする「ウォーター係数」というものである。
 
 ただし、実際に筋肉における運動エネルギー源の化合物であるATPに変換されるのは、100%の酸化であったとしてもこのエネルギーのおよそ38%であることが知られており、真に使える形でのエネルギーになるのは約30%ほどと考えるのは妥当であろう。