イラク邦人殺害・人質事件への対応にかいま見えるものー若者への思いやりと優しさの欠如
 今年の4月8日、突然のイラクでの邦人3名、高遠菜穂子さん(34)、郡山総一郎さん(32)、今井紀明さん(18)さんらの人質事件は日本中を震撼させた。そして、その後の経過で私をもっとも驚かせたのは、政府・与党の議員や閣僚から吹き出した「自己責任論」の激しさであった。同時にこの声が決して政治家のみから発せられたのではなく、一般大衆からも多くの批判があったとの印象は、いささか私を当惑させるものであった。その結果、幸運にも解放された3名は、驚くほどの批判を受けたと同時にとそれほど少ないとは思われない額の支払い要求が政府からなされたのである。

 彼らに対する「自己責任論」にもとづく批判は、外国メディアなどからの手厳しい批判にさらされ、また、国内からの予想外の批判に憔悴した彼らの姿が報道されるとともに沈静化した。しかしこの問題は、私がホームページに書いたごとく(「イラク人質事件ー飛行機代を出せだと?」)、どのメディアもきちんとした対応をしたきたとは思えない。いや、むしろ避けたがっているように感じるのである。

 そんないつものように問題が曖昧になってしまっていた5月28日、二人の邦人フリー・ジャーナリスト、橋田信介さん(61)と小川功太郎さん(33)がイラクを車で移動中に銃撃され、殺害される事件が勃発した。橋田さんは最も抜きんでた戦場ジャーナリストして尊敬され、また甥の小川さんはNHKからフリージャーナリストに転身し、まさに叔父橋田さんを継承するべくともにイラクを訪れていたようである。彼らの目的は自衛隊の動きを見つめ、空爆で左目を負傷した少年を治療のために日本に連れ帰るためであったとも言われている。そんな彼らの突然の死は大きな衝撃を持って受け止められ、さらに彼らの家族の気丈な振る舞いは、なんとも言い難い強い覚悟をうかがわせた。

 そんな家族の態度、そして二人が殺害されたという客観的事実のためであろうか、今回の事件では2ヶ月弱前に声高に叫ばれた「自己責任論」はついに私の耳に聞こえることはなかった。なぜであろうか。今回事件に巻き込まれた橋田・小川両氏の目的が前回の3名の若者のそれと比べて遙かに明確である、あるいは高尚であるなどということはないであろう。どちらも命を賭けてイラクを訪れていたことにかわりはないであろう。3名の若者やその家族が自衛隊の撤退を求めたのがその理由であるとの説もあれば、家族の主張がなにがしかの政治的背景を持っていたとの声もあるようである。それに関して言えば、すべての人間の主張はどのように中立性を装うとも必ず政治的である。また、イラクに派遣された自衛隊を撤退させてほしいとの議論は、生きている人間の生死に関われば関わるほど当然の議論である。それを、敵に背中を見せるようなものであるから決して言ってはならないなどの議論は、自衛隊派遣の大儀が誰が見ても明らかである場合に限られるであろう。今回は何の正当な理由も存在しないのは明らかである。いまやアメリカでも半数以上の国民の意見は、「正しくはなかった」であり、当初は派兵したスペインもすでに撤退したのである。とすれば、彼ら3人への批判は、ただ若かったから、若いくせに勝手なことをするな、であるとしか言いようがないのである。

 今回の二つのイラクでの事件から私が感じるのは、なんと日本は若者に優しさ・思いやりがないのだろうかということである。よく聞かされた批判に、高校を出たばかりで何もわからない若者が渡航が禁止されているイラクに行くとは、などの若いが故の批判が後を絶たなかったのである。「若いからこそ出来ること」との視点は全く出てこなかったのである。若者にとってこの国が厳しいのは、失敗を許さない点にあるといわれる。失敗が許されるのは、まあ唯一大学受験の時だけであろうか。昔から言われ続けてきたことの一つは、日本社会は縦社会ということであった。日本は「お上の国」であり、「出る杭は打たれる」のである。このことを逆に言えば、きわめて権威主義的な国だと言うことである。つまり、常に体制側(エスタブリッシュメント)が絶対的に有利な社会であり、そのように振る舞っている限りきわめて安全な国なのである。しかも社会状況が厳しいときには国民はそれに同調する傾向が強い。これは9 /11以来のアメリカとて同様である。また、政治家の「自己責任論」は当たり前であるがきわめて政治的であったのである。自衛隊のイラク派兵や年金問題から国民の目をそらそうとしたのであろう。いつもの古くて新しい手である。今回それが出てこないのは、参議院選挙前ということもあり、また外国からの批判が強かったことを思い、あえて火中の栗を拾うことをしなかっただけである。きっと喉から手が出るほど言いたかったのだと察する。それにしても、若者に安易にものを言うこの国は寂しい。

 「自己責任論」に打たれ続けたのは、その政治的背景はともかく、フォトジャーナリストへの希望を持ち、ストリート・チルドレンの面倒を見、あるいは劣化ウラン弾の実態調査を志した、日本のそして世界の将来を担う若者たちであった。彼らは日本の政策を時には批判したのであろうし、行ってはいけないというイラクに出かけたのである。閉塞的な社会を越え、地域を越え、地球規模の社会に入っていこうとしたのである。そんな暖かい見方が彼らに投げかけられていれば、彼ら自身消耗さを感じることもなく、また別の見方をすれば日本自体が変わり得た端緒になったのかもしれなかったのである。残念なことにそのような若者へのバッシングは日本の国際的な評価とも関係し、良きにつけ悪しきにつけ評価が変わりつつある日本の価値(Newsweek、6 .23、2004)を大きく損なったというべきであろう。私は彼ら3人が今回のことにうち負かされることなく、再び元気よく世界に羽ばたくことを期待している。また、お亡くなりになった橋田信介氏と小川功太郎氏のご冥福を心よりお祈りする。
                                                                  (2004年6月29日)