(1998年2月19日)
「大阪大学の決断−2」
(「大阪大学創造教育研究センター」構想付属文書)
1.はじめに
 「大阪大学の決断−1」でも取り上げたように、1994年4月から施行された新学習指導要領によれば、高校での理科教科の選択は、簡単にいえば総合理科、物理、化学、生物、地学の中から2科目となっている。このような状況の中ではたして充分な理系の専門教育が大学で行いうるかについては疑問とされ、最近幾つかの意見が出されてきている。それらを踏まえ、大学入学試験体制について大阪大学が取りうる方策について考察してみたい。とりあえず、以下に理科教育との関連で簡潔にまとめることとする。
2.理科の教育はどのように変わったのか
 1994年度からの新しい指導要領によれば、理科は次の13科目(標準単位数)から成っている。総合理科(4)、物理IA(2)、物理IB(4)、物理II(2)、化学IA(2)、化学IB(4)、化学II(2)、生物IA(2)、生物IB(4)、生物II(2)、地学IA(2)、地学IB(4)、地学II(2)。単位については、1単位時間を50分とし、35単位時間の授業を1単位として計算する。実際には週4回の授業があれば4単位ということになる。標準単位数は最小リミットを意味し、例えば生物IBの授業を週5回行って5単位としてもかまわない。
 また、すべての生徒が履修すべき理科の科目数は、総合理科、物理IAまたは物理IB、化学IAまたは化学IB、生物IAまたは生物IB、地学IAまたは地学IB、の5区分から2区分にわたって2科目とすることになっている。なお、IIの4科目については、原則として、それぞれに対応するIBを履修の後に履修することになっている(高等学校学習指導要領解説理科編理数編による)。
以上のことからでは、高等学校における理科の履修は、少なくとも5区分から2科目の選択でよいことが示されているだけで、生徒がどのように選択しているかは明らかにはならない。平成9年度の理科教科書の高等学校での採択部数によれば、総合理科を5とすると、物化生地の順でIAが30・53・39・15、IBが48・110・100・17、IIが21・30・24・2となっている(時事通信社)。
 なお、大学にとって興味のある、生徒の履修科目数、取得単位数については特にデータはない。ただ、進学校ではIBを選択し、理系の場合は3科目を履修することもあるようである。しかし、たとえば上の数字では生物を履修する学生が一番多いと予想されるとのデータがあるにもかかわらず、生命科学系の学部入学者に生物を履修してくるものが圧倒的に少ない事実は、高等学校での3科目履修が受験あるいは大学で受ける教育という側面から見たときには十分に生きていないことを示している(参考文献3参照)。
3.入学試験はどうなっているか
 高校教育、大学教育の双方に大きく影響するのは入試センター試験と各大学で行われる個別試験である。まずセンター試験の概要を述べてみよう。センター試験はグループ1(総合理科、物理IA、物理IB、生物IA、生物IB)およびグループ2(化学IA、化学IB、地学IA、地学IB)の各群から1科目ずつ選択可能で、最大でも2科目である。このため、生物・物理や化学・地学というような組み合わせはあり得ないことになっている。
 どうしてこのようなグループ分けになったのかについては詳しくは明らかではないが、その際の文書には、「科目配置は、受験者が理科を2科目選択する場合、これまでの受験科目の組合せ状況からみても物理と化学又は化学と生物の組合せが多い、と予想されること等を考慮した。」と記されているだけで、教育的、学問的な配慮によるものではないようである(大学入試センター)。
 大阪大学理学部では、前期日程、後期日程ともセンター試験では物理・化学・生物・地学のIBと総合理科の5科目から1科目を選択、個別学力検査では生物学科の場合、物理・化学・生物のIB及びIIの6科目から前期は2科目、後期は1科目の選択となっている。配点も、前期が総点850点で、うちセンター50点、個別200点、後期が総点1000点で、うちセンター10 0点、個別150点となっており、センター試験の理科の比重が異なる。
 同じ阪大の医学部医学科では、総合理科を省いている点が理学部と異なるだけで後は同じである。したがって、受験生は理科2科目の履修だけで大阪大学理学部や医学部などに入ることになんの支障もないことになる。この事情は、他の学部、たとえば歯学部、薬学部、工学煤A基礎工学部などの理系で、細かい事情は異なるとはいえ同じことである(平成9年度大阪大学学生募集要項)。
4.新しい指導要領は何をもたらしているか
 現在施行されている指導要領は、もともと「生徒の特性、進路、学校の実態等に応じた適切な選択履修が可能になるように」(指導要領解説)との意図で始められた。しかし現実にはそのようには機能していないことが幾つかの調査で明らかになりつつある。ここで私がなにがしかのことを述べるよりも、高校生、高校教師、大学生、大学教官を対象として調査した結果についての東京大学総合文化研究科・小山幸子氏の見解を引用するのが適当だと考える(平成10年1月5日、緊急シンポジウム「日本の理科教育があぶない」の資料、参考文献4参照)。なお、図などのデータは省略させていただく。
§1.選択制導入による消極的選択の尊重
 今回の調査結果で注目しなければならないのは、まず第一に、高校生にとっては「選択制」のイメージが、「好きな科目を取れる」というものであるよりは「嫌いな科目を取らないで済む」というものだと言うことであろう。このことは、図22(省略)の中で、文系の高校生に理科系科目はすべて選択式にするのがよいと言う意見が8割近くを占めている点、そしてその判断理由の8割近くを消極的意見(嫌いなものを回避できる、など)が占めていることからも明らかである。一方、選択制に対する不満のうち高校生では半数以上、大学生では8割を占めていたのが、取りたいものが何らかの理由で取れなかったと言うものである。また、理系の高校生の4割近くが他に履修したい理科系科目があると回答している。これらの結果は、選択制が「個性を尊重する」という基本的理念から生まれた制度でありながら、実際に尊重されている個性とは「嫌いなものを回避させてあげる」というものであって、「好きなものを学びたいだけ学べる」というものではないことを示している。このことは、個性の尊重という意味においては重大な欠陥であると言って良いであろう。選択制が含む最も大きな問題のひとつはこの点であると言える。
§2.選択制導入による知識の偏り
 「選択ができる」ことは自由を連想させ、「必修である」ことは避けがたい義務やプレッシャーを連想させる。このような言葉のイメージが、恐らくは、高校生における選択制への支持率の高さのもとになっていると考えられる。けれども、高校教師の回答の中で、特に自由記述回答において多く見られたように、例え文系であっても理科の基本的知識は必要であり、理系にも社会科の基本的知識は必要であろう。選択制の場合には、単に理科の科目を取りたいだけ取れない可能性があるだけでなく、理科や数学の科目と社会科科目との間でいずれかを選択する形式を取った場合には、文系では理科や数学の科目を選択できず(選択しなくて済み)、理系では社会科科目を選択できない(選択しなくて済む)ことになる。日本史を学ばずに高校を卒業できる等のシステムが、高校によっては理系には出現することになる。必修でない「自由」さが、ただ単に理科のすべてを取れないだけでなく、理科や社会のいずれかに偏った知識しか持たない次世代の日本人を生み出していく危険性がある。これは、「個性の尊重」という名の下に生まれた選択制の含むもう一つの大きな問題であると言って良いであろう。
§3.科目選択の仕方を左右するのは個性か大学受験か
 同様のことは他の専攻についても起こっていることだと思われるし、化学や物理学を専攻する学生が生物学を勉強しようとして生物学系の講義を受講したときにも当然のように問題が発生する。そのような履修履歴を持つ学生の入学を許可している大学は、ほとんどの大学がそうだが、上に述べたような問題に対してどのような手だてを持っているのであろうか。
5.考えられる選択肢とは何か
 ここでも先に引用した小山幸子氏の文章の続きを引用するのが最も適当であろう。
§4.今後の対策について
 大学入試の在り方を検討すべきであるという意見は、大学教官及び高校教師にも数多く見られた。理科系科目の必修必要性については、高校教師の約7割が、大学教官の約4割が4科目とも必修にするのがよいと回答している。高校生の考慮内容の大半を受験での必要性が占めていることを考えれば、教師教官側が考える理科教科学習の必要性を生徒側の選択の仕方に反映させるには、入試科目を増やすというのが最も速やかな変化をもたらす手段と言えるであろう。
 大学教官の自由回答結果にもあるように、個性を重視することは科目数を限定することではないはずである。個性は、多く(多方面)の知識をどのように消化吸収し、どれを大きく成長させたかによって形成されてくるものであろう。与える側は最大限に与えなければ、どれをどのように消化吸収し、どれを大きく成長させるかという類の選択の過程は存在し得ない。本当の意味での「個性を重視した」教育とは、多方面の知識を最大限に与え(必修)、その中で各自が成長させてきた関心の方向性を可能な限り最大限にさらに大きくさせる(選択)というものでなければならないのではないかと思う。そのためには、選択幅の限られた現在のような選択制を改め、さらに教員数や設備の充実、あるいは集中講義の自由化などによる希望者少数が理由による非開講の回避、等々の教育の充実に向けての検討作業を行う必要があるであろう。
6.大阪大学がいま考えなければならないこと
 以上のような状況の下、大阪大学が対策としてできることを以下に列挙する。
1)大阪大学の各学部は現在の入試について、センター試験の理科の科目数、2次試験における理科の科目数を再検討する。併せて、地理歴史・公民の選択科目数についても再検討する。
2)各学部は、受験資格を見直し、高等学校における履修歴を受験資格に加えることを検討する。例えば、理科3科目あるいは4科目の履修歴を受験資格として要求する。この場合、各教科のIB、IIすべてを含むことは過重になる可能性を考慮する。これに併せて、試験内容の程度を難度が高すぎないように配慮することが必要である。もちろん、地理歴史・公民についても検討する。
3)入試センターに対し、理科の受験に際しての物理・生物、化学・地学の区分を撤廃し、受験科目の物理的な縛りを解除するように大学として正式に要求する。
4)文部省に対して、現在の指導要領の改訂を要求し、3科目あるいは4科目必修化を求めて大学として正式に要求する。また、文部省には幾つもの審議会があるが、その内容についても検討を行い、それについて積極的に意見を述べる。
以上の1)、2)についての再検討結果を実施する場合には、当然のアとであるが少なくとも実施の3年前には公表することを忘れてはならない。
7.あとがき
 大学はこれまであまりにも上からの決定に対して必要な発言をしてこなかった感がある。しかし、現在のような状況に至ってなお目をつぶるとしたら、「大阪大学の決断−1」にも書いたように責任の放棄以外のなにものでもない。教官各位は、一度手を休め現状を素直に見つめていただきたい。第VI章には書かなかったが、現在入学試験に出題されている様々な問いが何故高校生の知識として必要であるのか、それが高校教育にどのように影響しているかをもう一度考えてみることも必要であろう。必要悪だとして逃げるのは最早止めにしたいものである。諸々の問題の総体としてであろうが、最も働き盛りといわれる年代を含めて素晴らしい人材が日本には育っていないのではないかとしみじみ思う。もちろん、それは私自身を含めての話である。
参考文献
1)文芸春秋(9月号)立花隆「知的亡国論」(立花のホームページにも掲載)
2)朝日新聞(11月28日、4面)松田良一「科学教育を揺るがす改訂指導要領」
3)日経新聞(1月18日、26面)「生物知らない生物系学生増加 理科の基礎教育必修化を」
4)高等教育フォーラム主催「日本の理科教育が危ない」(1月5日)小山幸子「高校における  理科系科目の選択制に関する調査結果報告」
5)サンデー毎日(2月8日)「生物を学ばない医大生急増」
6)文芸春秋(2月号、46頁)立花隆「私の東大論」
7)岩波「科学」(2月号、203頁)「日本の理科教育が危ない」
(この文書は、「大阪大学創造教育研究センター」構想の付属文書として1998年2月19日より書き始めたものである)