第6回長野オリンピック記念2004長野マラソン 2年ぶりに自己ベスト更新へ! |
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2002年4月、62歳になって初めて待望のフルマラソンに挑戦し、思いがけず3時間55分01秒と4時間を切ってびっくり仰天。次の年には、できることならその記録を破りたいと考えては見たものの、そう簡単に事が運ぶはずもなく、自己新までにはまるまる2年の歳月が必要でした。私にしてみればその難行苦行を下に書いておきたいと思う。 | ||||||||||||||||||||||||||||
最大の難関、体重減の課題 | ||||||||||||||||||||||||||||
以下に1999年からの体重変動のグラフと、それに対応するためもあってランニング量を増やしていることのよくわかるグラフを示します。図1では体重増をもたらす様々な原因を見いだすことができます。その最大の原因は、禁煙です。これについては、別の文章として「体質改善:減量、筋トレ、マラソン、そして禁煙」に書きましたが、その影響の一つが顕著に体重面に現れています。一月に10 0キロから150キロ(時速10-13.5キロ)近く走っていてもなお、図1のように体重は上昇を続けているのがよくおわかりと思います。これは、禁煙で口が寂しくなるためにいろんなものをよく食べるからと言うよりはむしろ、自律神経による基礎代謝の低下(10%も低下するといわれる)による、結果としてのエネルギーの過剰摂取によると理解できます。すなわち、特に食事量を減らすことをしなければ、通常のエネルギー摂取は、禁煙後ではエネルギー消費が大幅に減少するために、余ったエネルギーは脂肪への蓄積として体重増をもたらすことになります。そこで2002年の7月からランニング量を増やし、時には月間200キロ近く走るようにしてやっと体重増に歯止めをかけることができました。 | ||||||||||||||||||||||||||||
図2.最近2年間の走行距離の変動 | ||||||||||||||||||||||||||||
今年度からこの長野マラソンは、国際陸連の高低差40-50メートルというマラソンの規則に準じるために新しいコースになり、昨年までの最初の長い下り坂に助けられていたと感じていた私としては少し不安なスタートでした。そんなこともあり、また昨年は一昨年の最初のマラソンで出した3時間57分台から10分以上遅れて4時間10分へと後退したこともあって、かなり入念な準備をして参加したつもりでした。そのひとつは、昨年秋の西宮ハーフマラソン後LSDを中心としてできるだけ長い時間走ることを心掛け、距離も月間200キロ以上を走って精神的スタミナや心肺機能などを強化してきましたし、また、呼吸を楽にすることを目的として、ストライドを少しだけ大きくしてゆったりと走ることにも努めました。その成果は今年の京都シティハーフマラソンで発揮され、3年ぶりにこれまでのベスト記録1時間42分47秒を1時間41分13秒へと短縮することができました(別の文章、「2004京都シティハーフマラソンで自己記録更新」に詳しい)。その京都ハーフからわずか4週間後の今回の長野は、疲労回復という点で少し不安があったが、なんとか無事乗り切ることができました。
当日は朝少し曇ってはいたがしばらくの晴天続きで気温が高く、朝のスタート時にすでに14.5度あり、長い時間をかけて走る私達遅いランナーにとっては大きな不安材料でした。案の定、スタート時に晴れ間が覗きはじめ、それからはほとんど晴れていたと記憶しております。後からのテレビ報道によれば午前11時頃にはゴール地点で21度だったということですので、私達がゴールした12時半頃にはもっと高い温度になっていたことは確実でしょう。しかし、スタート後気持ちよく走れ、5キロ27分位を予定していましたが24分台となってしまい、徐々に調整しながら走ることにしました。今回は、息子(息子Aと称す)と一緒に走ることになり、その記録(長野マラソン実行委員会からの参考ネットタイム)も同時に下に記載することとします。 中西康夫 息子A
5キロ毎 5キロ毎
5キロ 24:56 24:56 27:26
27:26
10キロ 51:22 26:26 53:05 25:39 15キロ 1:17:49 26:27 1:18:28 25:23 20キロ 1:44:52 27:03 1:43:53 25:25 中間点 1:50:45 1:49:23 25キロ 2:11:55 27:03 2:09:44 25:51 30キロ 2:40:08
28:13 2:37:58 28:14
35キロ
3:09:25 29:17 3:07:15
29:17
40キロ 3:41:48 32:23 3:39:47 32:32 Goal 3:55:25
31:01 3:55:19 35:23
このデータからもわかるように、最初の5キロ以降ペースを落としましたが、比較的気持ちよく走れたこともあって当初の予定より速いペースを維持することとなりました。そして、約2分以上の遅れくらいでスタートした息子が彼としてはゆったりとしたペースで走りながら中間点を少しすぎた地点で私に追いつき、それ以降のラップタイムを見てお分かりのように、息子が自分のペースを落としながら巧みに私を引っ張り、私が必死についていった様子が思い描かれます。つまり、普通ならペースが落ちる20から25キロの5キロのデータは20キロまでのデータと全く同じで、また、それ以降のペースも最後の所を除けばキロ当たり5分の半ばから後半を維持することができていることがわかります。このあたりの事情は、図3にある一昨年のデータ(青色)と見比べてみるとよくわかり、今年は少なくとも前半のオーバーペースと後半の落ち込みが改善されていることは明らかです。 |
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図3. 2004長野マラソン、ラップタイムの変動 | ||||||||||||||||||||||||||||
図4. 2004年長野マラソンでの順位変動 | ||||||||||||||||||||||||||||
苦しいながらも二人で約15キロを併走しながら36キロまで来たとき息子が腹痛を起こしてトイレに駆け込み、およそ1-2分で復帰して最後の6キロに臨みました。しかし、後3キロの地点で息子が内転筋がつるという再度のアクシデントに見舞われ、無念ながら私が先にゴールに向かうこととなりました。そして彼よりおよそ2分早い3時間55分36秒(公式)でゴールすることができました。彼は公式タイムで3時間57分40秒でゴールしましたが、多分ネットタイムはこれより2分くらいは早いタイムだと予想されました。公式のネットタイムによれば、私は3時間55分 25秒、彼は3時間55分19秒で、私は6秒差で息子に敗れたことになりました。 図4に順位変動もグラフにしておきましたが、2002年の時は「登記登録選手、男子」での集計のためか後半の私なりのがんばりが順位を上げていたことがよくわかりましたが、今年は「男子」全体としての集計のためそれほど顕著ではありませんが、後半に頑張れたことがそれなりによくわかります。公式には、完走者3,6 31人中1,599位で、前から数えた方が早い順位には大満足でした。 それでも私は自己ベスト記録を2年ぶりで約2分更新でき、大いなる達成感に酔いしれることとなりました。これも息子が私の「限界ぎりぎりペース」でのペースメーカーになり、後半の落ち込みを最小限に留められたことが決め手となったと確信しています。途中30キロ過ぎにランニングレポーターの谷川真理さんのクルーに会い(お陰でテレビによく映りました)、それにも引っ張られたことを覚えています。でも、息子に引っ張られた後半15キロは本当に辛い走りでした。このあと、ふらふらしながら長野駅に戻った頃にはじりじりとどうしようもない疲労感が押し寄せてきたことを覚えています。でも、長野駅近くのイタリア料理店での打ち上げで飲んだビールとワインのなんと美味しかったことか。よく頑張りました。 改善すべき点は二つあります。一つは京都シティハーフでの自己ベストに貢献したアシックスシューズの「ULTIMATE」が今回のフルマラソンでは少し小さめだったためか親指の爪を痛めたことです。もうワンサイズ大きくするかなどの検討が必要だと思われます。二つ目は後半30キロからのスタミナだと思われます。途中谷川真理さんにあったとき、谷川さんは私に向かって、「マラソンは30キロ過ぎからですからね」と言われました。当たり前のことと思いましたが、やっぱりその点についてさらなる改善が必要のようです。 (2004年5月10日) |
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左の写真は、当日の信濃毎日新聞の号外から。スタート時の写真の一部で、その中にゼッケン番号7 06の筆者が見える。 (2004年6月7日、アップロード) |
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