体質改善(2):「大阪・淀川市民マラソン」での
初リタイアから学ぶこと
はじめに
 2004年11月7日に予定されていた西宮国際マラソンは、そのわずか2週間ほど前に突然中止された。その原因は日本中に大きな被害をもたらした台風23号によって武庫川河川敷のコースの大部分が大きな被害を受け、レース参加者の安全を保証できないためであった。

急遽代わりの大会をインターネットで探したところ、高槻市と枚方市の中間にある枚方大橋下の淀川河川敷をスタート・ゴールとする大阪・淀川市民マラソンが同じ日に開催される案内が目にとまった。私にとっては願ってもない場所でのレースであったので、早速電話とメールで連絡を取り、西宮の中止の影響を受けた者からのお願いとして参加許可を求めた。すでに締め切りを過ぎてはいたが、主催者側は心よく参加を許可してくださり、晴れて11月7日(日)に参加することが出来ました。

 朝から適当に曇って風もそれほどでなく、気温も割に低い絶好のコンディションでした。初めてのコースで、少し不安もありましたが、ひょっとすれば1時間40分を切れるかも知れないという思いもありました。スタートは10時で、大きな河川敷公園をとりあえず一周してから大阪湾の方向に向かって走り始めるのですが、その最初の一周のところでちょっ問題を起こしてしまいました。このところ調子がよかったこともあって少し入れ込みすぎの感もなきにしもあらずでしたが、コースの道路の右半分がコンクリート、左半分煉瓦敷きでその煉瓦の間に草が生えている、そんなコースが1.2キロが続いていました。近道のためにその少しがたがたした煉瓦敷きの方を走ってしまったのですが、その最後のあたりで呼吸というか心拍数というか、それとスピードと負荷がうまくかみ合わず、気持ちよく走れなくなってしまいました。その調子がずーと続き、この調子では疲労感ばかりが増すので適当にリタイアした方がよいかなと思いつつ5キロまで行きました。そしてタイムは5キロで25分44秒で予定より1分以上遅かったのです。しかしもの凄く悪いわけでもなく、ひょっとしたら持ち直せるかもしれないと思い、さらにしばらく走りましたがそれほど回復する様子もないので、多分9キロ当たりで自発的にリタイアしました。その後、ゼッケンをはずしてゆっくりと走ってゴールに戻ってきました。リタイアは初めてのことでした。無理をすればというか、ゆっくり走るつもりであれば問題なく完走はできたのですが、満足な走りではないので一度思い切ってリタイアしてみようと決心してリタイアしました。どこがどうっていうことのないリタイアで、結論は、「うまくペースに乗り損ねた」という感じでした。ペースに乗ることが如何に大事かということを改めて実感いたしました。そしてこのリタイアは私にいろいろなことを考えさせてくれることになりました。
私の不安材料(1)−体脂肪量の増加
 下のグラフを見ていただきたい。これか過去4年間の体重、体脂肪量、そして体重から体脂肪量を引いた数値の変動である。この数値は、私が通っているフィットネスクラブ(高槻市、明治スポーツプラザ)で測定したもので、測定する条件はバラバラであり、また体脂肪率を測定する機器も両手で計る簡易型である。したがって、その値ひとつひとつはそれほど正確とは言い難いが、全体としての傾向を観察するにはそれほど問題はないと考えている。
 
 2000年夏のかなり大きな体脂肪率の変動(原因不明)や夏に体脂肪率が少し下がるなどの定期的な変動をのぞけば、値にばらつきがあるが2001年から見れば体重は増加気味である。それに対して体重から体脂肪量を引いた値、すなわち筋肉量、骨量、水分などの値は全体としてみればほぼ横ばいである。ということは、体脂肪量が少しずつ増加しているということになる。たしかに、月間240キロほど走った2003年秋から冬にかけては体重、体脂肪量とも減少しているが、平均して150キロ以上の月間走行距離であるにもかかわらず体脂肪量や体重の減少傾向を達成することはできていないのである。ここに問題がひとつある。
私の不安材料(2)−心拍数の微妙な増加
私の不安材料(3)−高い血中「総コレステロール」と「グルコース」値の変動
 下のグラフをご覧いただきたい。これは2002年からの血中総コレステロールとグルコース値の変動を表したものである。これらの数値は、前立腺がんの発見と放射線治療(本ホームページの別の文章「前立腺がんに対する高線量率組織内照射治療の体験」をご覧下さい)と、その経過観察のために2003年はじめから高い頻度で測定されている。総コレステロール値については放射線治療のために入院した2003年8月から9月にかけての少し低い値を除けば、かなり高い値を維持している。
 血糖値についても同様で、上限の110を越えることがしばしばである。現在の医療では110では高く100が限界らしいので、この値には注意を要する。これら二つの値の高止まり状況は、しかし、いまに始まったことではなかった。1979年、私が40歳の時の総コレステロール値は204、血糖値90とそれなりに高く、現在の値とそれほど大きな違いはなく、その後の継続的な人間ドック検診時の検査結果も同様である。中性脂肪の値も同じように上限を境にしていったりきたりが続いている。これが第三の問題である。
ランニング能力の向上と成人病の克服を目指してあらためて体質改善に挑戦
 以上のような状況はどうみても標準より肥満気味で、その主原因は多い体脂肪だと思われる。このような体質は1979年(40歳時)の測定でも明らかだったというべきである。しかしそれ以前もそれ以降もかなりの頻度でスポーツをしてきてもその傾向を変えることはできなかったのである。特に、1996年からはジョギングを始め、ハーフマラソンに参加するようになってランニングの距離を伸ばすようになり、さらに1999年からは高槻・明治スポーツプラザでのトレーニングで筋肉トレーニングを取り入れても、残念ながら肥満傾向を是正することはできなかったのである。

 私は2002年頃から月間走行距離を記録している。最初のグラフから分かるように、2003年の秋から冬、そして今年2004年の夏には体脂肪が減少しているが、このときにはいずれも月間走行距離は170km以上で、特に2003年の秋から冬にかけては240キロ以上走ってやっと体脂肪が減少傾向になるのである。このことは、体質的なことは別にして、わたしのトレーニング方法では平均して毎日5キロ以上を走らなければ体重はもとより体脂肪をこれ以上落とすことは不可能であることを意味する。

 体脂肪を落とすことは本当に難しい。これから脂肪を増やさないというより、積み重なった脂肪を減らすには有酸素運動がどうしても必要である。酸素がなければ脂肪が燃えないのは科学が教えるところである。そんなことは十分に承知していたはずの私であったが、これまでのトレーニングにその考えを取り入れていたとは言えないのである。ランニングを有酸素運動として行うときの心拍数は、人と話ができる程度の速度の時であると言われる。実際にジムでのトレッドミルによるランニングでは、速度を13.5-14キロ/時に設定して走っており、人と話のできる心拍数120あたりはとっくに過ぎ去っている。そして、人と話のできるような速度は、10分もないというのが本当のところである。ジムでなくロードに出たときも同様であり、ついつい時計を意識して目一杯の速度で1時間程度走るというのが普通である。確かにエネルギーを消耗しているが、脂肪を効率よく燃焼しているかは怪しげで、むしろ効率よく炭水化物を使っているというべきであろう。
結論と試み
 初めての「大阪・淀川市民マラソン」でのリタイアは、上のような様々な問題点の総合として、最初のとばしすぎによる心拍数の乱れのコントロールが路面の状況もあってうまくゆかなかった結果の疲労感によるものだったように思えている。

 新しい試みは、要するに、人と話のできるような心拍数でのランニングに徹することである。それによって脂肪の燃焼を促進し、かつ有酸素運動機能の向上をねらうのである。そして当分の間スピード練習は、レースの前3週間に限定する。この試みはすでに2004年11月13日から始まっている。タイムに全くこだわらず、心拍数はおよそ120くらいで90分くらい走ることにしている。ただ、当初は我慢我慢であったが、慣れてくれば90分という時間はそれほど苦痛ではなく、また速度が遅いために顕著な疲労感を感じることも少ない。少なくとも今月中はこれで行く、いわゆる"LSD"である。

 このことが、高い「総コレステロール値」にどのような影響を与えるかは興味深いところで、まさに実験である。この試みによってもその値に変化が見られない場合には、安全のためにその値を下げる薬を飲むのが正解だと思われるが、しばらく結果を待ちたいと思う。もちろん、血糖値の高さも気になるところであり、この値についても観察を続けたいと思う。できることなら、この試みによって成人病予防を徹底したいものである。なお、これら2つの血液のデータに関して、食事の影響も考えられるが、この十年来食事の内容は油ものが多い食事から魚中心に変えてきており、それでも大きな変動がないことから体質的な要素も大きいとは感じている。ただし、入院時には総コレステロール値が下がっていることから、食事の質と量が関係している可能性は否定できない。
                                 (2004年12月5日)