体調不良からの脱出キーワード
ーそれは“自己ベスト”ではなく“完走”だー
はじめに
日常的に走りはじめて15年の昨年、ついに踵の痛みと不整脈のために休養を余儀なくされた。非常に故障の少ない私であったがその2年ほど前にはふくらはぎを痛め、また時々心拍数の異常な上昇という良く理解出来ない状況に出会うことになっていた。そして年齢との兼ね合いを腐心しなければならない歳になり、2007年は右往左往する年となってしまった。完結はしていないので仮の結論ではあるが、その顛末を少し以下に書きとどめておきたい。
足底腱膜炎からの脱出
踵の異常を少しずつ感じ始めたのは1年前くらいからであったが、そのきっかけを与えてしまったのはその2年くらい前から始めた走法の変更であったと確信している。走法の変更とは、基本的には同じ走法だが少しだけストライドを大きくするための取り組みであった。走るスピードを上げる方法は大きく分けて二つある。ひとつはピッチをあげることともうひとつはストライドを大きくすることである。このうちピッチをあげてスピードを上げるやり方はもちろんあるが、巡航速度でのピッチ数というのは長い間に作り上げられた各個人の呼吸数ー呼吸の頻度ーと連動しているとも言われ、それを変更することはなかなか難しいのが実情である。それに比べてストライドを伸ばすというのはかなり魅力的で、私の場合にはハーフで19,000歩程度なので1cmのストライドの伸びは同じ歩数で考えるとハーフで190メートル早く到達出来ることになり、タイムでは1分の短縮となると計算されるからである。

そこでストライドを大きくすることはなんとかできるのではと思って試してみた。やり方は二つあり、ひとつは着地時の力をこれまでより少しだけ大きくし、それを地面反力として受けてそれを前進の力に代えることである。もうひとつはブレーキをかけることにならない程度に少しだけ着地点を前に出し、シューズの踵の反発力を使って前進するというものである。どちらの方法にせよそう簡単なことではなく、かなりのトレーニングを要するのであるが、とにかく意識的に試してみた。そのようなことを1年ほど試していたであろうか、時々踵に違和感を感じるようになってしまっていた。そしてそれが走るときの痛みとなってしまったのが昨年の春であった。

症状は踵の骨(踵骨、しょうこつ)の足裏で土踏まず側が痛むもので、骨と腱との接合部が炎症を起こしていることに起因していると言われる。昨年の春から夏の初めには走るのも難しい程であり、踵の裏側のみならず踵全体、ときにはアキレス腱の方にも痛みが拡がった時期があった。この症状は朝起きて歩くときに痛みがあるが、すぐにあまり感じなくなるというのが特徴で、夜就寝中は負荷がかからず一時的に修復されつつあるがしかし完治していないため、朝歩き始めに痛みを感じるのである。

この症状の治療には特効薬的なものはなく、ランニングなどを極力抑えて炎症を除去するしかないのが実情である。そのため下に述べる不整脈のこともあり、春から秋口までランニングを極力抑えることとした。下の図1(右下部分)でも明らかなように、5月から8月までの月間走行距離は極端に落ち、ほとんど走っていないことが分かる。体重を落としたいこともあってこの時期はもっぱらエアロバイクに座って有酸素運動を行っていたのである。
図1.月間走行距離の変動
その結果、夏の後半頃から少しずつ走れるようになってきたが、治療に向けて最も重要であったポイントは、走り方を以前に戻し、踵に負担をかけないような真下着地(全面着地)で、どちらかといえば少し足裏の前部分からの着地を意識したことであった。これで踵への負担を大きく減らし、治療を促進することが出来た。

参考のために治療に役立ったと思われることを列挙しておきたい。

○スポーツマッサージ師(愛知県小牧市五体治療院 小山田良治氏)による定期的な治療マッサージを受けた。
○足の裏を無理に強く引き延ばすようなこと、たとえば指で強く押すなどは出来るだけしない。また無理なストレッチも避ける。
○日常的に素足感覚を重視し、踵への負担を軽減することを目的としてNike Free 5.0を常用した。大変気持ちよく感じた。
○ファイテンのチタンテープを貼る。ツボにはまると効果的であった。
○或る程度走れるようになってからは、走った後のシャワー時にアイシングをすることを心がけた。

以上のさまざまな対処のメニューによって腱膜炎は徐々に改善され、その結果昨年12月の奈良春日大仏マラソン(10キロ)出場へとつながっていった。約8ヶ月ぶりのレースであった。
不整脈の現実と循環器系検査
2007年4月15日の長野マラソン、約7km地点の善光寺通りの下り坂を走っていたときのこと、心拍数がそれまでの140-150から190から200に急上昇した。そこでスピードを少し落とし沈静化させようとしたがそううまくは行かず、心拍数は20位の範囲で上がったり下がったりを繰り返していた。結局のところうまく調整出来ないまま10キロ地点であるNHK長野放送局前で思い切ってリタイアした。2002年に参戦して以来はじめてのリタイアであった。

その時にかなり正確に心拍数を把握していたのには理由がある。実はそれまでにもたまに心拍数が上昇したなという軽いショックを感じることがあり、少し不安になっていたのでポラールの心拍計(POLAR RS200)を購入し、胸につけたベルトから発信される心拍数情報を無線で腕時計に転送して正確な心拍数の変動をチェックしていたからである。そこではじめてレース走行中の心拍数の変動を把握でき、循環器内科での診察を受ける気持ちに整理がつくことになった。それ以来酒の量を減らし、食事量を減らして減量を試み、さらに踵の問題もあって走るのをやめて(図1参照)休養と決め込みました。この急激な生活の変化は逆にかなりの体重増を一時的にもたらし(図2参照)、そのせいかどうかは不明だが少し不快な、胸がざわざわする感覚も味わった。しかしそれも落ち着き、8月に入ってから大阪大学附属病院循環器内科での循環器系の検査に順次取りかかった。

そこで検査した項目は、順番を追って言えば「エルゴ負荷心電図」、「心エコー」、「ホルター心電図」、「心電図」そして「胸部レントゲン写真」などであった。最初の「エルゴ負荷心電図」では自転車に乗って負荷をかけ、その時の心電図の変化そして最大酸素摂取量などの呼吸器系全般の検査を行いましたが、何の異常も発見出来ませんでした。「心エコー」では心臓の形、機能などを検査するものであるが、特に異常はなく、心臓の大きさも特に大きくなっておらずに柔らかく(つまりは機能は落ちていない)、血液の拍出量もよく、特に加齢の影響はあまりないとのことであった。

「ホルター心電図」は24時間連続して心電図を測定することでできるだけ長い時間にわたって心臓の状態を記録するものです。今回の検査では30分のウオーキングと25分の軽いランニングも含めて24時間で89,314回の心拍数(平均62回/分)のうち僅か18回の期外収縮があった。主として心房性でそれに心室性を合わせて0.02%という低い確率であること、その期外収縮も心電図の形としては非常にきれいなもので結局のところ問題とするにあたらず、という結論になった。期外収縮とはもともとの調律(タイミング)で心拍が生じると予想される時期より早期に生じる電気的な興奮による心房あるいは心室の収縮を指し、私のような年齢の場合には期外修飾を起こさない人を捜し出すのは難しいと言われるほど普通に存在するもので(何らかの原因による電気的不安定性)、一般的にはあまり治療の対象とはならないとのことであった。先に書いたように、私の場合にはその頻度、心電図の形などから判断して治療の必要はないとの結論でした。もちろん、普通の「心電図」や「胸部レントゲン写真」からは特に異常となるものは見つからなかった。なお、もしこれ以上の検査をするとなると、入院して薬剤によって敢えて不整脈を誘導して経過を観察するしかないとのことで、それは今のところ行う必要はないだろうとの結論となった。この結論には一安心したが、しかし原因不明というやっかいなものでもあった。
不整脈を出さないために
そのような検査結果を総合し、私自身による体調管理という観点も入れて次のような方策を講じることにした。それは主として循環器系に負担がかからないようにすることだけである。

1.体重増を押さえること。つまりは減量である。骨太の私はかなり重い。
2.若いときから遺伝性の高脂血症の気があるので総コレステロール値を下げる。
3.走っているときに心拍数のジャンプなどを感じたときには無理はしないようにすることはもちろん、医者からの忠告もあるので“目一杯走らないこと”とする。

それまでも食事には注意を払いつつあったが、この際不整脈という問題の解決のために大食いの私ではあったが食事量を思い切って減らし、脂ものも極力減らすこととなった。その努力は下の図2で分かるように実現されつつある。
図2.心拍数と体重変動
実は上に書いたように複雑ではなく呼気、吸気を2回ずつ、あるいは3回ずつ繰り返すという単調な方法もある。それはそれでよいのであるが、私には単調に思えて呼吸の仕方そのものにストレスを感じ、大きな深呼吸をしたくなってしまうのである。呼吸の仕方はひとそれぞれであり、私が上のような呼吸をしているときでも、そのひとつひとつの呼気・吸気には強弱があり、また、走っているスピード・ピッチ、疲れなどによっていろいろな組み合わせで呼吸している。また、上のそれぞれの例の呼吸でも、どれをサイクルの初めと意識するかはその時の状況に依存する。要するに、突然大きな呼吸をしなくても良いように、ひとつひとつの呼吸運動を大きくなりすぎないように、また単調になることによってストレスを感じないように、つまり少し複雑でアンバランスな呼吸によって変化をつけやすくした呼吸を行うのがよいと感じている。
いろいろな不具合
体調不良ということの中にはもっといろいろある。ただ、ここに書いておくに値することがひとつあるのでそれを書いておきたい。今年の秋には69歳になる私のように歳をとってくると注意しなければならないことは、さまざまな状況の変化に対して体の対応力に余裕がなくなってくることである。故障が比較的少ない私の場合でも、しばしばふくらはぎや大腿部裏側、そして腰の痛みや違和感などを感じる。そんな場合どう対処するかは重要で、ストレッチをし、マッサージを受けたりするが、もうひとつ意外なことは自分が使っている道具を代えてみることである。その最たるものはシューズである。

昨年読売新聞に連載された「金哲彦のランニング健康学」の中で金哲彦氏は、月200- 250キロ走る人の場合、シューズは劣化が激しいので3ヶ月くらいで交換した方がよいとの意見を書いている。それは摩耗もあるが素材の劣化も微妙に影響するからであろう。私が賛成するには理由がある。かってふくらはぎ痛に襲われたときには同じメーカーの同じタイプのシューズだが作られた時期が違うシューズに履き替えただけで治まってしまった。しかし、それから1年しか経っていないいまそのシューズはもはや自分の身体に合っていないと実感している。また、少し腰痛を感じるときにもシューズを変更すると軽減されることがあったし、また踵に異常を感じたときの対処にも同様のことが有効であった。このようなことから私も金氏の意見に賛成だが経費がかさむなどもあってなかなか実現は難しい。しかし、大事な身体のことなので思い切った方がよい。私は自分の身体にあったシューズを3足ほど用意しておき、身体のどこかに違和感を感じたときにはシューズを履き替えることにしており、折を見てまた戻すことが多い。要するに、若い身体と違って状況の変化に対して対応する余裕がもはやこの歳の身体には存在しないのであろう。情けないが認めるしかないのである。
おわりに
相変わらず理屈っぽい、とまた文句を言われそうな文章である。ただ、私としては出来るだけ自分の経験を同じ年格好の方々に伝えてそれを生かしたいだけである。今年 1月20日に行われた第16回高槻シティ国際ハーフマラソンではここに書いた対応策を実行に移し、体重減と相まって1年ぶりのハーフを予定通り1時間57分で余裕を持ってゴールすることが出来た。このコースでのベストより15分ほど遅いが、余裕を持って走ることがどれほど楽であるかも実感した。これからはやはり“自己ベスト”より“完走”であろうか。今後もここに書いた対処法がうまく機能することを祈りたい。なお、不整脈とお酒の関係が議論されることが多いので、昨年12月のレースからレース前には“ビール風味”のもの以外は飲まないようにしている。
                             
                             (2008年2月27日)