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 この文書は、私が当時名古屋大学理学部化学科生物化学研究室に在籍し、その中で多くの同僚とともに考え続けた内容をさらに4年生の配属学生であったYK君との討論で1972年12月(当時私は33才で助手)にまとめあげたものである。K君との共同研究は当時異例であった、実験を伴わないものであり、それ故彼の卒業の時点では多くの難問を引き出すことになった(別の文書、「我々にとって卒研とは?」を参照されたい)。この文書は、その時たまたま「蛋白質・核酸・酵素」が理論的な論文を募集していたこともあり、それに応募しようとも考えたが、あまりにも長く、またそれを短くすることもできず、遂にお蔵入りになってしまった。いわゆるアングラ版である。
 しかし、大阪大学で平成6年度(1994年度)からスタートした全学共通教育機構の主題別科目「生命現象における秩序形成」の講義を担当することになった私が自然に学生達に話している内容は、現代科学の方法論や考え方をみつめることであった。そのことを考えるとこのアングラ版は、わたし自身の考える軌跡と土台を現したものであること、具体的に取り扱った問題が未だに未解決の問題として残ってしまっていることに気づき、この文書を一般に公開することとした。いまから読み直してみると、いかにも勢い込んだ、何かせっぱ詰まった感じもし、また未熟なものでもありそうである。これはその時の状況とわたし自身の状況を現している。また現在の時点で理解できないことも多い。それはその当時未熟であったこともあろうが、いまの私の頭はその当時ほど研ぎ済まされてはいないという現実があることは明らかである。そんなこと、あんなことといろいろと考えられるが、1972年という時期に書かれたものであることを念頭においてお読みいただければ幸いです。なお、内容はタイトルほど糖関係だけに限定されていないことと参考文献をとりあえず削除してあることをお伝えしておきたい(1999年7月)。
分子生物学と多糖含有化合物の生化学
−分子生物学の克服を目指す2つの試案を含めて−

I.分子生物学の再検討とその立場の持つ困難性

 
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II.糖蛋白質の構造のHeterogeneityと糖ヌクレオチドからの糖転移反応
 
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III.細胞外物質の多様性と相互作用の連続性
まえがき
 IIのまえがきで述べたと同じように、細胞外物質、主に細胞間物質である酸性ムコ多糖蛋白複合体にも構造の多様性という難問が潜んでいて、その生合成・機能はよく理解されているとは言えない。しかしこの分野は、以前から動物の結合組織の病気との関連でその構造や組成の変化が比較的よく調べられており、近年分析方法の進歩のあって加齢による変化も明らかにされつつある。我々は特に加齢による変化がなぜ起こるのかを、細胞と細胞外物質の連続的な相互作用という概念を用いて明らかにしたい。この中で我々は、”構造的行きづまり”という概念を取り出し、それによって発生、分化、成長、老化というひとつの方向を向いた生物学的時間を問題にしてみたいと思う。
 最近水野伝一氏が、”オルガネラと生体調節”という論文(10)の中で、”鋳型の化学”を乗り越えるものは”積木の化学”すなわち鋳型によって作られる高分子物質の離合集散の過程であると論じた。この考え方に私は敢えて賛成である。ただ鋳型によって作られたものの相互作用を考えるときに、鋳型によって作られるとは考えにくい生体成分をどのように考えたらよいかは重要な問題である。
III−1.細胞と細胞外物質との相互作用の再検討
 多細胞生物、たとえば高等動物が単細胞生物と全く異なるところは、その生物の発生、分化、成長、老化、そして死の過程で常に細胞と細胞外物質あるいは細胞と細胞の相互作用が存在するところだと常識的にいわれている。ここでは一応細胞−細胞の相互作用も、その間に少量ではあるが細胞間物質があるものと考えて細胞と細胞外物質の相互作用として取り扱いたい。
 さて、細胞と細胞外物質との相互作用があるといったとしても、それはたとえば軟骨の細胞外物質を細胞の質を規定するものとしてではなく、むしろ結合組織の強さ、柔らかさ、水の保持あるいはカルシウムの平衡と沈着と細胞との関係という言葉としてであり、それ以上立ち入ろうとしない(40)。よもや細胞を質的に規定するものとしてあったとしても、それはたとえば胚発生における脊索による体節からの軟骨の誘導、あるいは軟骨組織から骨組織への変換という分化などという局面に限られている。これらの場合においても細胞の質を規制するものとしては、隣接する細胞、たとえば体節からの軟骨の誘導の場合には脊索の細胞の作るものとして考察されており、自らの作った細胞外物質を思考の対象にしているわけではない。このように考える場合には、例としてあげた2つの局面のように何か劇的な組織変化がないとその時の細胞外物質は、結合組織としての強さとかの問題以上には把握できなくなってしまう。つまり現存する細胞外物質の変化そのものが終局的にたとえば骨組織への変化を引き起こすというふうには細胞外物質を捉えきれていない。そのためいまの段階では、たとえば軟骨の細胞外物質についても上に述べたような主に組織構造を表す言葉以上には語れず、新しい視点からそれを見ることができていない。
 細胞と細胞外物質の相互作用の問題がこのような現状にあるとすれば、我々はもう一度相互作用なる言葉の意味を考える必要があるのではないだろうか。最も考えやすい分子レベルでの相互作用という場合を考えてみよう。たとえば酵素と阻害剤の相互作用は、その結果として酵素−阻害剤複合体の出現を一時的にせよ実現する。このことは次のように理解できる。酵素あるいは阻害剤ともに別個には安定なものとして存在し得たとしても、それらを一緒にしたときには両者の関係においてより安定な系へと、つまり自らの不安定性という限界を乗り越える形で安定な系へ移行する。この安定な系とは、酵素−阻害剤複合体であり、酵素でも阻害剤でもない全く新しい質の形成である。すなわち”相互作用”の本質的内容は、互いに相手に働きかけて互いの持っている限界性を乗り越えて新しい質のものを形成することにあると考えるのが妥当である。そうするならばこのことを細胞と細胞外物質の場合に適用してみよう。
 すなわち軟骨組織の場合、軟骨形成にとって現存する細胞外物質では何らかの意味で限界性*を持ち、また細胞が全く同じ細胞外物質を作り続けることに対してやはり限界性*をもつとき、その”相互作用”によって新しい質の細胞外物質を作る新しい質の細胞**を実現する。これが細胞外物質と細胞の”相互作用”の内容と考えるべきであろう。つまり細胞外物質とは、まさに組織構造を支えるものでありながら、かつそれをやりうるためには常にその成分を媒介にして細胞自身が質的な変化をなしうる、そうゆうものとして規定できるであろう。
*ここでいう限界性とは、化学構造の同じ細胞外物質、コンドロイチン硫酸蛋白複合体やコラーゲンではその同じもの同志、あるいはコンドロイチン硫酸蛋白複合体とコラーゲンの相互作用が、軟骨形成という本質的な意味において行い得ないという可能性を頭に入れている。また細胞に関していえば、細胞外物質の合成・分泌の中に全く同じものを作り続けることでは、合成・分泌が行い得ない可能性があるのではないかと考えている。
**新しい質の細胞とは、必ずしもDNAレベルからの新しい情報発現をする細胞であることを意味しない。
III−2.相互作用を考える上での細胞外物質の概念
 いままで述べてきたようなものとして細胞と細胞外物質の相互作用を考えるとき、細胞外物質をどのようなものとして規定してよいかが問題となる。
 一般に多細胞生物を考えるとき、そのほとんどのものは発生、分化、成長、老化そして死に至るまで、その組織あるいは細胞の形態、代謝、機能などが常に変化しているとみてよい。ここにあげる図1は、Mathewsのデータに他のさまざまな実験事実を盛り込んで鈴木旺氏が再編したものであるが(39)、ウサギまたはヒトの軟骨の細胞外物質についていえば、その構造については後述するが、発生から老化に至る過程の中でその成分は量的質的に刻々と変化している有り様を表している。つまり、不断に連続的な相互作用を可能ならしむる内容を細胞外物質は持つことを示している。細胞外物質におけるこのような変化をあくまでその化学構造の中に裏付けされたものと考えると、その物質は非常に大きな構造変化の可能性を含んでいなければならないはずである。これが細胞外物質のひとつの条件である。もうひとつの条件は、そのような分子構造の合成過程は、template-freeか、あるいは部分的にtempla te-freeであることが要求される。この2つが、”相互作用”を行いうる細胞外物質の条件であるといえる。

図1.発生、成長、老化に伴う軟骨ムコ多糖蛋白複合体の変化(39)
III−3.細胞外物質としてのコンドロイチン硫酸蛋白複合体
 III−2で規定した条件を満たすものとして最も考えやすいのは糖であり、しかもそれが高分子という形態をとっているほど考えやすいことも事実である。すなわち糖は多くの官能基を水酸基やアルデヒドとして持ち、また多くの種類の糖を使い分けることによって組織や種の特異性にも応じうるだけの内容を含んでいる。
 軟骨の細胞外物質の主成分のひとつであるコンドロイチン硫酸蛋白複合体は蛋白鎖に何本ものコンドロイチン硫酸鎖を持つ高分子物質である(41)。この物質は、もちろん上に述べた”相互作用物質”として適当であるが、特に興味深いのは硫酸残基を持っていることである。つまり、硫酸基の添加を水酸基に行い、それによって異性体の合成を可能にし、またひとつの糖鎖の中でもその硫酸基の量によって別種のものの合成が可能なのである。よく知られているように、ウサギやヒトの軟骨中にはアセチルガラクトサミン残基の4位に硫酸基を持つAタイプ、6位に硫酸基を持つCタイプ、そして硫酸基を持たないコンドロイチンタイプの3種類が存在し、それぞれの場所、時間経過とともに変化している。他の種でも同じようなパターンを示すようである。ここにあげた3種類のものがまったく別の鎖として存在するか同じ鎖の中にhybridとして存在するかは今のところそれほど明確ではない。また木全ら(42)によれば、おなじニワトリ胚の軟骨でも場所を変えた場合には(異なる場所にある細胞はその細胞の経過時間に違いがあると考えてよい)、そこで合成されているものは糖鎖の長さが異なることも明らかにされている。
 なお、軟骨に存在するケラト硫酸はまだその構造が不明確であるが(43,44)、さまざまな硫酸含量のものがあることから、その変動のパターンは多分コンドロイチン硫酸の場合とよく似たものであることが予想される。
 また、軟骨の細胞外物質のもうひとつの主成分であるコラーゲンはどうであろうか。この物質はほとんどタンパク質でありながら修飾を受けやすいlysineやprolineを持ったものとして合成・分泌される。たとえばlysineはアルデヒド基を持つものへと変化を受け、加齢とともにcross linkを増してゆく(45)。またコラーゲンは短いが多くの糖鎖を持っており、組織の時間経過とともにその合成活性が変化することが知られている(46)。
 一方、細胞と細胞外物質との間に相互作用が存在することを示唆する事実もある。ひとつはNevo, Dorfmanの実験である(47)。それによれば、軟骨から取り出したchondrocyteの培養系に軟骨の成分であるコンドロイチン硫酸蛋白複合体を加えたところ、最高5倍近くその合成活性が増加した。このことは培地に加えたもの、言い換えれば自らが生産したものによって影響されて合成が活性化されたと考えられる。すなわち、細胞と細胞外物質の相互作用の存在を示唆するデータである。もうひとつはFitton-Jacksonのデータである(48)。それによれば、軟骨組織をヒアルロニダーゼというコンドロイチン硫酸鎖を加水分解する酵素で処理すると、その組織のコンドロイチン硫酸蛋白複合体の合成活性が促進される。このことは減少した、あるいは短い鎖をもった細胞外物質に対応してより多くの、あるいはより長いコンドロイチン硫酸鎖をもった蛋白複合体の合成が起こったとみて差し支えないと思われ、細胞と細胞外物質の相互作用の例として把握しうる。最近、Hardingham, Fitton-Jackson, Muirら(49)はこの実験をさらに進め、次のような結果を得ている。彼らは軟骨をヒアルロニダーゼで2日間処理し、さらにそれをin vitroで培養を続けると、もともと酵素処理をする前に存在したものより低分子で、しかし酵素処理されて培養するときに存在したものよりは高分子のコンドロイチン硫酸蛋白複合体を合成しはじめ(図2)、徐々に対象の軟骨に近づき、4日間の培養でほぼ対象の80%にまで回復したと報告している。彼らは、この回復の過程を蛋白に結合する糖鎖の本数の少ないものから多いものを徐々に合成する過程であると考えているが、また糖鎖の長さの変化の可能性もある(このことは検討されているが、分析手段の限界もあってはっきりしない)。いずれにしても分子全体としては、小さいものから大きいものへの変化であり、上の議論を完全に裏付けるものである。
 このような例にみられる相互作用の結果は、次のIII−4以降で延べる予定の生物学的時間の問題の範疇であるが、別の言葉で言えば生体の修復反応とも言える。つまり人工的な糖鎖の加水分解に対して細胞が敏感に反応したのであり、このような分子が多くの修飾可能な官能基を持つことを考えると、さまざまな環境の情報の受け渡しをしうることを構造の可変性ということの中に求めうると思われる(III−7参照)。
 このようなコンドロイチン硫酸蛋白複合体の構造の多様性と同時に、その生合成過程の酵素系による反応がTe mplate-freeに行われることを示す事実もある。鈴木、Stromingerによれば、ニワトリ輸卵管のスルホトランスフェラーゼによる活性硫酸からの硫酸基の転移は、受容体が低分子でも高分子でも行われ、しかも比較的高分子の方が受容体になり易いことを示している(50)。このことはその酵素の置かれた状況によっては、構造的に異なるもの(量的にであるが、他との関係において質的に異なるものへ転化しうる)の合成が行われうることを示している。なお、糖鎖の成長反応においても低分子でも高分子でももちろん受容体になりうる(51)。
 いままで我々は細胞と細胞外物質ということで考えてきたが、この話題をcell-cellの問題としても考えられる。この場合に相互作用しうるものは、細胞表面の酸性ムコ多糖蛋白複合体(52, 53)、糖蛋白質(54, 55, 56)や箱守(23)が詳細な研究を行っている糖脂質のようなものであろうと考えられる。


図2.ヒアルロニダーゼ処理されたニワトリ胚軟骨と、その後に合成された
コンドロイチン硫酸蛋白複合体のSepharose 2Bからの溶出パターン
III−4.”相互作用”の限界と”構造的行きづまり”
 それでは相互作用は際限なく続くものと考えてよいであろうか。しかし細胞の分裂から次の分裂、または環境による分裂停止、さらに大きな事としては細胞、組織あるいは個体の死が存在するからには、この”相互作用”の中に何らかのかたちで限界を持たなければならないことは明らかであり、それが規定されない限り多くの矛盾を含んでくる。
 ここで・−2で述べた細胞外物質の概念規定を思い出していただきたい。そこで我々は”非常に大きな構造変化の可能性を含んでいなければならない”と規定している。つまり、構造は生合成の過程においても、後からの修飾においても容易に変化しうるが、しかしその変化は”有限”である。たとえば、最も考えやすいコンドロイチン硫酸蛋白複合体を考えてみよう。この分子の糖鎖は蛋白に結合しているが、そのsiteには限りがあり(セリンの数には限りがある)、また長さも蛋白との関係において規定される。また糖鎖中の硫酸基の数は、特殊な場合を除きその糖鎖の長さと官能基の数以上にはなり得ないことは明らかであろう。
 この観点で図1を見直すとひとつ重要な点が存在する。それはコンドロイチンタイプといわれる硫酸基のないN-アセチルガラクトサミン残基の量が胎児期の中期から終わりにかけて徐々に減少して行くことである。その時の細胞がアセチルガラクトサミンの4位と6位に硫酸基を導入する2つの酵素しか持たないならば、この相互作用は胎児期の末期に構造的な変化の限界、つまり”構造的行きづまり”を実現してしまう。軟骨細胞は、さらにこの限界を乗り越える形であたらなケラト硫酸の合成を開始する。この分子もコンドロイチン硫酸蛋白複合体同様にその微細な変化を観察すれば、たとえば硫酸含量の少ないものから多いものへと変化していると考えても不思議ではない。しかし、40才位のところからほとんで変動がないことは、軟骨組織として完全に限界に到達し、それ以上の新たな情報を引き出せないことを示している。
 これまでの議論の中で重要なことは次のことである。すなわち、我々が扱おうとしてきた”相互作用”は、その構造上の裏付けとして、コンドロイチン硫酸蛋白複合体の場合、糖鎖の数としては少ないものから多いもの、すなわち分子としては小さいものから大きいものへ(Hardinghamら)、また硫酸含量としては少ないものから多いものへ(図1)、そして糖鎖の長さとしては短いものから長いものへ(木全ら)と変化していることである。このことは”量”ということで一般化したとき、小から大への一方向の変化しかないことを示しており、少し飛躍するが、たとえば個体は小さいものから大きいものへとしか変化しないことと一致して興味深い。
III−5.”構造的行きづまり”とその生物学的意味
 いままで扱ってきた軟骨のデータ(図1)でこの両者の関連をみてみたい。まず、胎児期の中期から終わりにかけてCタイプとコンドロイチンタイプの合成が減少し、これがAタイプの増加と一致する。全てのアセチルガラクトサミンの4位と6位がふさがれて硫酸の入れる位置が無くなるとという限界に近づくと、それを乗り越える形でケラト硫酸の合成が行われる。この変化が定常状態になったとき、その組織としての限界に到達していると考えられるが、しかしこの場合新しい細胞外物質を作り出す情報を遺伝子の中から引き出せないことを示している。すなわち、アセチルガラクトサミン残基が硫酸残基によって修飾されたものを作る過程が原基形成であり、新しくケラト硫酸合成による”相互作用”の克服過程がAdultの軟骨組織への”成長”過程である。しかしながらケラト硫酸の構造が変化の可能性を失って固定化したものになり、しかもこれに情報の有限性が関係したとき、その組織は次第に”老化”して他の細胞にとって代わられるか、組織が崩壊するかのどちらかとなってしまう。だか、なぜ”老化”するかはわからないが*、いまのところ合成抑制による細胞活性の低下としか言い得ない。
 すなわち、”成長”とは、細胞と細胞外物質との相互作用の結果として構造的に行きづまるまでの過程であり、その中には組織の急変はないが、たとえばケラト硫酸の新たな合成という、ある意味では”分化”の概念をも含んでいる場合も存在する。この成長過程の把握で重要なことは、相互作用の結果とDNAの情報の有限性の中で必ず”構造的行きづまり”を実現することであり、このことが同時に老化を必然ならしむることである。すなわち、”成長”と”老化”は細胞と細胞外物質との”相互作用”の結果としての、化学構造の一方向への変化の表現に他ならない。これを一応個体に総体化したときには、個体の死は必然であり、だからこそ新たな個体の生成が”生殖”として必然化されるのである。
*ひとつは、分解しにくいものを作ってしまうところにあると言える。たとえばケラト硫酸を分解する酵素系は未だ動物では見つからない。これはTemplateの問題としても、コンドロイチン硫酸の場合、これを分解すると言われるヒアルノニダーゼは、硫酸基の無いものの方が硫酸基のあるものより15倍も効率よく分解することが知られているので、”相互作用”の結果の産物は徐々に分解しにくいものを作ってゆくことになると考えられる。
III−6.”分化”の概念と”構造的行きづまり”
 このようにみてくると一応成長と老化は、”構造的行きづまり”という視点の中で一貫して取り扱うことが可能と考えられるが、この概念の一般性を検証するためにもたとえば分化の問題をこの範疇で取り扱えないかを検討してみたい。
 現在の時点では分化した細胞の性質として特異性の相互排除、たとえばアルブミン合成の特異性とグロブリン合成の特異性は相容れないことが明らかになっていると言われる(57)。つまり分化の過程は、特異性の獲得ということだけではなく、むしろ一般性としては、他の特異性の排除を含むものでなければならないとされている。すなわち、発生から分化の過程は、一個の受精卵という全ての情報の発現可能なものから情報発現の可能な量が減少してゆくことであると言い換えることができる。このことはひとまとめにして次のように言えないだろうか。まず相互に排除しあう遺伝子は何らかの構造的な関連性があり、情報の発現という”相互作用”を通して排除される遺伝子の環境に構造的な変化が生じ、それの繰り返しの結果として構造的な限界に到達してしまう。そしてこの結果としてその遺伝子は排除されてしまう。もしそうだとすると、”構造的行きづまり”の視点から”分化”を規定することが可能となってくる。
 ここで現在情報発現にとって重要だといわれるヒストンを考えてみよう。現在まで数種類のヒストンの一次構造が決定されており、ある種のヒストンの構造をウシとエンドウで比較するとアミノ酸配列の違いはわずか2カ所で、それはDNAの塩基一個の変化で説明できるほど厳密なものであるといわれている(58)。しかしながらヒストンには分画によって数多くのフラクションに分かれ、種特異性や組織特異性のあることが明らかにされている。もちろん、一次構造の違いによる多種類のヒストンの存在は当然であるが、ここで問題にしたいのは、それの修飾反応である。たとえば、ある種の高Lys, Ser型で、子ウシ胸腺からとったヒストンは、125個のアミノ酸のうち、側鎖修飾可能なアミノ酸はLys 20個、His 3個、Arg 8個、Ser 14個、Thr 8個で合計53個となり、約40%のアミノ酸は修飾を受ける可能性を持っている(59)。もちろん、ヒストンの塩基性はこのうちのLys, Argの構造が表現するものであり、他のヒストンの場合についても本質的には同じであろう。
 いま、DNAからの情報発現における相互作用を、細胞と細胞外物質とのそれと同じように何らかの構造変化をその基盤に持っているとすれば、細胞外物質の場合と同じように、相互作用をする系の中の物質に対して構造変化の可能性という観点を持ち込まざるを得ない。このような観点から見ると、”核内相互作用物質”として最も考えやすいのは先程述べたヒストンであろう(もちろんこれ以外のものもあり得る、修飾可能なRNAとか)。あるヒストンは約40%の修飾可能なアミノ酸を持っていることを述べたが、たとえば次のような修飾反応がある(60)。Lysineはε-N-acetyllysine、ε-N-monomethyllysine、ε-N-dimethyllysine、そしてε-N-trimethyllysineに、Histidineは 3-methyl-histidineに、Arginineはω-N-monomethylarginineとα-N-methylguanidinomethylated arginineに、そしてSerineはphosphoserineにそれぞれ変化を受けることが知られており、実際にはもっと多くの修飾の可能性が示唆されている(60)。これらのことは軟骨細胞の細胞外物質である酸性ムコ多糖の構造変化の様子と極似しており、”相互排除”という”分化”をその遺伝子の環境の不可逆的な”構造的行きづまり”として理解できるようである(いまはその例としてヒストンをあげた)。
 このような相互作用をいろいろな意味に解釈することは可能であるが、その基本は種々の側鎖の形成が行われることにあり、またDNAという酸性物質と相互作用しなければならないという、いわば二重の意味で塩基性であることがヒストンには要求される(もちろん多くの人がこの点に言及している)。そしてこの相互作用がきわめて多様に、しかも連続的に行えるように細胞外物質と同じような構造上の可変性を備えていると見るべきだろう。ただヒストンが細胞外物質と異なるところは、後者は蛋白以外の部分は可変である、たとえば長ささえも変えられるのに対して、前者の場合はその長さは厳密に決定されている点である。ここでは主にヒストンのことについて述べたが、この系の中にあるDNAもこの範疇の対象であるかもしれない。なぜなら、DNAのメチル化酵素は厳然として存在するからである(61)。
 なお、分化を相互排除という観点をとり、それによって図1をみた場合、ケラト硫酸の増加に伴ってコンドロイチン硫酸Aがそれに対応して減少してくることは、この2つの特異性が相容れないものとして存在しているものであると理解される。 
III−7.”構造の自由度”と細胞構造
 このようにみてくると、細胞というものをひとつの”構造の自由度”という観点からもみることが可能となる。すなわち、細胞の中心には構造の自由度の小さいDNAが存在し、それを取り巻くヒストンはTemplate-dependentではあるが側鎖の修飾による構造変化の可能性を持ち、細胞膜あるいは細胞外にはその鎖の長ささえ可変であり、なおかつ側鎖の修飾さえも可能である、ある意味では最大の構造の自由度を持ったムコ多糖蛋白複合体あるいは糖蛋白質などが存在する。そしてその間には、細胞質として行動の自由度を持った分子または”積木の化学”の可能なオルガネラ(10)が介在する。
 これをみると、細胞というのは中心から外へ三次元的な空間的拡がりを持つと同時に、明らかに構造変化の自由度が内から外へ拡散する方向があるものである。逆に言えば、細胞は内から外に向かってより構造に自由度を持つ物質によって構成されていることによって空間的な拡がりが保証されているのである。我々はふだん、細胞は外から情報を得ることが重要であるといったりするが、この必然的な内容は、実は細胞のでき方それ自体の問題であり、細胞外や膜の化学構造あるいは三次元構造の変化を媒介にしてはじめて逆の方向、すなわち外から内への情報伝達が可能になるのである。このことについてはこれ以上述べられないが、細胞と環境との相互作用や情報の獲得形式の問題である進化の問題を扱う際には重要視しなければならないであろう。
III−8.”構造的行きづまり”と細胞分裂
 今まで述べてきたことは、活発な相互作用の過程は”成長”であり、”構造的行きづまり”になってしまって固定化した状態が”老化”である。そしてこの行きづまりを打開できたのが”分化”と規定した。各組織でそれぞれに分化の極に到達してしまった次に来るのが個体の死であり、それ故に個体発生が必然化されるのであろうということであった。
 いままでは、”構造的行きづまり”を分裂や分解でいかに突破するかの問題であったが、その前に特殊な化学構造でその限界を乗り越えている組織の変化を起こさない方向があるはずである。その例が、いわゆる永久軟骨であるイカの軟骨のコンドロイチン硫酸Eタイプ(67)ややはり永久軟骨であるサメにみられるケラトポリ硫酸(68,69)である。Eタイプというのはコンドロイチン硫酸AのN-アセチルガラクトサミン-4-硫酸残基の6位にもう1モルの硫酸基を持つものであり、しかも糖鎖の長さとしては新しいグルコース残基を糖鎖の中に導入することでより高分子を実現しているらしい(70)。またサメのケラトポリ硫酸は、普通のケラト硫酸の硫酸基は繰り返し2糖単位あたり1モルなのに対して1.8モルと高い。これもひとつの克服の方法であろう、そしてそれによって組織の限界を遠ざけ、たとえば永久軟骨として実現していると考えられる。また、細胞と細胞の関係によって限界を克服している例はたとえば神経細胞であろう。分裂しない神経細胞が分裂するグリア細胞によって取り囲まれているのは(71)、神経細胞の内外に存在する限界状態が回りに存在するグリア細胞によって解除されるためであろうと思われる。以上、2、3の例を挙げたが、相互作用物質である酸性ムコ多糖の構造は枚挙にいとまがないほど多種多様存在していることが予想される。
III−9.”分化”した細胞核から”全能”なる細胞核への逆戻り
 ここにひとつの問題がある。オタマジャクシの腸の細胞として完全に分化しきった核を取り出し、これを卵細胞の核と入れ換えると、その核の機能は卵細胞の核と同じ全能の核に戻る現象がある(72)。いままでの内容からこの現象を考えてみると、核内の”構造的行きづまり”(いまの場合ヒストンでよい)が細胞質との関係で、たとえば分解酵素系によって解除されたと理解される。これが卵の細胞質の特殊性であって、ある程度の卵割まではその細胞の核が限界を来さないような、たとえば分解酵素系の質と量があらかじめ用意されていると考えられる。この点の問題が、実は卵細胞が成熟してくる不等分裂の過程に含まれるであろう。言い換えれば、バクテリアのように一個の細胞になる過程である。この「戻り現象」にはかなりの時間が必要であり、移植された核の障害の何らかの解除が進められた可能性が高い。
III−10.細胞と細胞外物質の相互作用はどのように行われるか
 いままで述べてきたことは一貫して、相互作用が変化を生む元であるということであった。それではそのようなことがどうして可能であるのか。現在全くblack box出あるが、それを指し示すようなデータがないわけではない。そこで、いままでのことを思考するきっかけとなったデータを少し再編してみよう。
 たとえばAshwell一派の実験である(30, 31)。一般に血清糖蛋白質はシアル酸を末端として持つのであるが、たとえばceruloplasminを静脈に注射すると時間のオーダーで血液中を循環しているが、たとえば10個持っているシアル酸残基のうち2個ほどのシアル酸を除いたものを静脈に注射すると分のオーダーで肝臓の膜を介して取り込まれ分解されてしまう。このことは2個のシアル酸を除くことで膜に対して物性的に同質化し得たと解釈できる。なぜなら膜の糖蛋白質はほとんど血清糖蛋白質とよく似た組成であるからである。さらにこのような同質化を合成分泌過程の裏返しとみれば、その過程には膜に存在するシアル酸を持つ糖蛋白質に対し、出てゆくceruloplasminがある程度以上のシアル酸を持たないと細胞外へ放出されないと考えられ、分泌には膜に対する異質化、つまり膜にあるものに対して異なったものへ転化することが必要と考えられる。
 一方、II-2の図4、5で述べたKern, Swensonら(21)のリンパ細胞によるγ-グロブリンの合成分泌過程は、詳しくは述べないが簡単にいえば次のようにいえる。糖部分の最後の糖であるシアル酸が付くまではそのγ-グロブリンは細胞内に存在するが、いったんシアル酸が結合すると速やかに細胞外に分泌される。ここから少し飛躍するが、糖部分の蛋白部分への添加は膜への物性としての同質化であり、Ashwellらのデータとかみ合わせると、結合しうる部分にほぼ全てシアル酸が結合することは異質化の過程だと考えられる。このような事実から我々が概念として導き出したことは、膜を通しての分泌には、分泌されるものの合成過程の中に膜に対しての何らかの意味で同質化と異質化の過程があって、この異質化のところに細胞外物質の多様性を実現するカギがあると思われる。なぜなら、培養細胞の細胞膜にコンドロイチン硫酸が存在するといわれ(52, 53)、また膜の物質を膜と接触しうる細胞外物質とおくこともできると考えれば、それと異質化することを化学構造の中で考えれば常に異なるものを合成しなければ分泌が行えず、合成活性も抑えられるであろう。ここの”老化”の契機がある。・-3で引用したNevo, Dorfmanの実験はこのことまでも表現しているのではないだろうか。この場合、細胞外に加えたコンドロイチン硫酸は相互作用のきっかけを与え、合成分泌を引き起こす水先案内人のような役割を果たしているとみられる。このようなことが分化の契機であることをStrudelが指摘している(73, 74)。
 この項の中で重要なことは、細胞と細胞外物質との”相互作用”は、細胞外物質が合成分泌される過程の問題であり、それは多分分泌が決定される膜との”関係”にあるということである。そしてこの”関係”とは、単純な酵素と基質の問題とは考えにくく、むしろすでに合成していた同種の化合物やその他の因子を含めた”鋳型”としての膜構造の問題であろう。
 このようなこと考える結果として、分泌されて細胞外に出たものが逆にその細胞を規定するような分子の分泌過程では、その分子と膜との相互作用を必然的な内容として持ち、なんらの細胞への規定性を持たないものの合成分泌は、その分子と膜との相互作用は本質的な意味において存在しないと考えられる。たとえば、膵臓のアミラーゼのように消化器官内への分泌物質は、その合成過程で完全に顆粒状に包まれ、分泌される時にはその顆粒の膜と細胞膜との接触によって中のアミラーゼは放出されてしまう(75)。このようなかたちで様々な物質の分泌のされ方を規定し、分類し直すことも可能であろう。
III−11.まとめ
 我々は細胞外物質の構造の多様性を観る視点を作り出すために、相互作用という言葉の意味を把握し直し、それを用いて”構造的行きづまり”という概念を引き出してきた。そしてこの概念を用いて”分化”、”成長”、”老化”という一連の生体変化を見直そうとし、それが可能のように見える。つまり、発生したものは必ず老化するという多細胞生物の持つ一方向の変化−生物的時間−は相互作用の過程の中で、鋳型によらないで合成される分子構造の中に蓄積されてゆく過程の産物であると考えられる。しかし、あくまで我々は、その変化のきっかけ(契機)を述べただけであって、たとえば相互作用の限界がなぜ老化という形態をとるのかは全く想像の域を出ない。
 またIII-1で述べた酵素の問題を考えると、酵素反応という相互作用の中で酵素は変化しないというのがいわゆる酵素学であるが、本当にそうであろうかという素朴な疑問がでてくる。つまり酵素が現在金属イオンのようなものでなく、まさに酵素であるとは一体どうゆうことなのかという問題であり、Sabato, Kaplanら(76)は、この点を意識していたように見えるが現在全く分からないとしかいいようがない。
 いずれにしても、この・章に書いた内容の限界がよく理解できない。それは我々が日頃慣れ親しんでいる実体主義的な取り扱いでない概念的なものであることに由来しているようである。そしてまた、I章で分子生物学的決定論なるものを概念として徹底的に批判しえてはおらず、ただ結果的には分子生物学の弱点を突いたに過ぎないことが一連の論理の限界の不明確さをもたらしているのだろうと思われる。我々は、確かに分子生物学の克服を目標としたが、未だ対置に過ぎないことは十分認識しておく必要がある。
あとがき
なお、この論文の参考文献を出してはいないが、もし参照したいという方がおられればご連絡いただきた(2004年3月末)。
I.分子生物学の再検討とその立場の持つ困難性
 
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II.糖蛋白質の構造のHeterogeneityと糖ヌクレオチドからの糖転移反応
 
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